今日は盆明けで、店を開けましたけど、とても暇です。 そしてまた、暑い日曜日になっています。
以前からの予報では、今日は一日小雨か曇りになっていましたので、涼しい一日になるだろうと楽しみにしていたのに、朝から良く晴れてガッカリしています。
「人間というもの」の後は、池波正太郎さんの「堀部安兵衛」下巻を読みまして、また図書館のドキュメント棚に在った、「獄窓記」という本を読みました。
監獄物は昔、吉村昭氏の「破獄」などを読んでいますが、特に関心を持つほどのジャンルでは無く、この「獄窓記」も、背表紙の題字が大きいので、なんとなく手にした程度だったのです。
しかし、著者の名を見て、はてな? となりました。
「山本譲司といえば、先日テレビで見た、新しい名に改名した政党の新党首ではなかったかな・・・」と思ったのです。
その政党の前党首はやはり山本性で、「次も山本か・・・」と、ふと感じたことがありましたので、わたしでも記憶に残っていたのでした。
それで、著者は今現在の政党の新党首なのですが、わたしには全然事前知識の無い人ですから、そのような人の「獄窓記」なら、多少の人物を知る上でも読んでみようかな、と成ったのですね。
「獄窓記」の内容は、とても読み易く、刑務所生活の内容が詳細に語られていて、「この人は。記憶力の良い人なのだなぁ」と、つくづく思わされました。
その記憶力についてですが、この著者は、自分の心に残って行く、現象の捉え方に、独特の選択基準を持っているようでして、その選択基準からの発露が、わたしのような読者の心に響いて来る作品に成っている、ということが良く解ります。
こう言ってしまうと、それはすべての書き物の在り方だ、とも言えそうですが、特に監獄物のように、閉ざされた世界の中での事柄であれば、人によってその体験内容の切り口には、幾つかの色合いの違いが有るはずですからね。
この作品では、刑務所の刑務官と著者との心の綾が、特に繊細に、そして意識して客観的に書かれているような気がしました。
監獄物自体にさほどの興味もないわたしが、わたしなりに一気に読み終えましたから、「おかしいなぁ、なにかドキュメンタリー賞でも貰っていても良い筈なのだが・・・」、と思っていましたら、新潮ドキュメンタリー賞を受賞していました。
この本を読んでいますと、「監獄物」の良否判断の一面には、主人公が保釈される場面での、読者の喜び共感度に有りそうだ、ということが良く解りました。
この作品では、待ちに待った保釈場面で、本当に、「あぁ良かったなぁ・・・」と感じることができましたから。
ただ、読み終えて、わたしとしては、著者に対してその後の活動云々などに、特に興味は湧いて来ないようです。
これは、わたしの政治家一般に対する見方と同じなのですが。
「堀部安兵衛」は、当然ながらというか、上下の内、下巻がとても面白く読めました。
上巻は、池波さんの、いつもの時代物感覚の中でも、さして惹かれることも無い内容なのですが、下巻は高田馬場の決闘や、吉良家への討ち入りなど、感情を抑えた文章で、素晴らしい内容になっていました。
今はまた「鬼平犯科帳」を読んでいます。
今年の3月20日にタネを蒔いた、エキナセアの二つ目の花が咲きました。
こちらは最初の花に比べて地味なようです。
毎日の暑さで、取り敢えず枯らさないように、水遣りに追われています。
