日中の最高温度37度の日が過ぎまして、先ほどの蘭小屋で33度と、少しづつ温度が下がって来つつありますが、日向の日差しの強さは、全然弱まりません。
昔高校生の頃、夏休みに鹿児島まで自転車で行った事がありましたが、その時の忘れられない日差しの強さ並みです。
あの時はにわか雨の中を走るのが、天国のように感じられましたが、ここ最近は此方では20日間位雨も降っていません。
この晴天続きが一段落したら、今度は雨の日が続くのだろうと思われます。
さて、またまた「人間というもの」から、感じたことを書いてみます。
< 秀吉も家康も、だまっていてもどこか愛嬌のある男だった。 明智光秀は智謀こそ、そのふたりよりすぐれていたかもしれないが、人に慕い寄られる愛嬌がなかったために天下をとれなかった。
「竜馬がゆく 一」 >
昔のアメリカでの、息子ブッシュとゴアの、大統領選挙戦を思い出しますね。
二人の選挙前のテレビ討論会では、要約すれば「ブッシュの方が愛嬌が有る、ゴアはインテリぶっていて嫌味な奴だ」 との評価が大半で、とうとうまさかのブッシュ新大統領が誕生しました。
その時は本当に唖然としましたが、今日のトランプを見ていると、アメリカ人の思考回路の、電導経路が判るような気がします。
昨今のアメリカでは、強いことを言って、愛嬌のある人間に人気があるようで、神妙な顔をして、ものごとを広範囲且つ深く考えるが故に、何事にも断言を避けるような人物には人気が無いようです。
しかしこれは、他所の国のこと、だけとも言えませんね。
民主主義とは、国民の多くが選んだ代表が政治を行うようになっているわけですが、その「多くの国民」について書いた文に、今読んでいる本の中で出会いました。
< 阿川弘之著 鮨そのほか 座談会わが友 吉行淳之介
出席者 阿川弘之 遠藤周作 小島信夫 庄野潤三 三浦朱門 より
遠藤 あのころ高見順さんが温度をとってデモをやらせたろう。
阿川 あれは六十年安保のときだったんじゃないかな。
遠藤 それで、おれは「文学界」に「大衆を信じない」と書いたんだよ。戦争中のときの大衆は信頼できないし、戦後の大衆も信頼しない。だから、安保の時文学者がデモを組んで反対するのはいかがかと思うと書いたら、高見さんが怒ってね。叱られたことがあったんだよ。そうしたら吉行が「当り前じゃないか、大衆なんか信じられるか」といった。
阿川 ああ、そう
三浦 あの人(吉行)、健康も嫌いだったけど、大衆も嫌いだったね。 >
昔の話ですが、或る会合(日本ペンクラブでしたか?)で閉会前、会長が「ではここで皆さん、取り敢えず安保反対の決議をとりましょう」との意味を発議しましたところ、これまた或る議員が手を挙げて、「ところで皆さん、日米安全保障条約を読んだことがありますでしょうか」と質問したそうです。
その結果だれも手を挙げず、会長の「では今日はこれで解散といたします」の言葉で会議は終わったそうです。
遠藤さんの言う大衆とは、この場合の会長のような人々を指しているようです。
民主主義も、その主役は大衆ですから、愛嬌云々の投票基準も、民主主義の一面、つまりその弱さのようにも思えてきます。
愛嬌が有る=大衆の支持を得られる、は判りますが、これが為政者として、真に選んだ大衆の為に働くか、となると、これはまたこれで別の問題なのですね。