今年は去年より、平均的に1~2度温度が高いようです。
そんな中、熊本の人達は大変なことですね。 この暑い中、恐怖のあとは家の片付けや、避難生活を強いられているのですから。
平穏なわたしたちの、想像を超えるご苦労をされていることでしょう。
なにもできませんが、せめて心からお見舞いを申します。
スーパーボランティアの小畠さんは、またしても単身熊本へ出かけ、車中泊をしながら、個人で被災者の方の手助けをするようです。
わたしより幾つも年上なのですが、どうか無理をせず、無事に帰還して頂きたいものです。
さて「人間というもの」の中から、また感じたことを書いてみましょう。
< 仕事というものは、騎手と馬の関係だ。 と竜馬は、ときに物哀しくそう思う・・・・桂や広沢における長州藩、西郷や大久保における薩摩藩は、いずれも千里の名馬である。
土佐浪人の中岡慎太郎にいたっては、馬さえないではないか。徒歩でかけまわっているようなものだ。
「竜馬がゆく 七」 >
中岡慎太郎は、竜馬の海援隊に対して、陸援隊を創設して、幕末に活躍していますが、詳しい行動を記した読み物にわたしは出会っていません。
「竜馬がゆく」の中では、竜馬と同じ京都近江屋の部屋で襲われ、竜馬がほぼ即死であったのに比べ、中岡は二日か三日生き延びているようです。
その間中岡は、仲間が作った焼き飯を食べたけど、すべて吐いてのち亡くなったと、書かれていました。
ただその生き残った間に、竜馬の最期の様子を仲間に語っているようです。
幕末の土佐藩士については、竜馬の他に、武市半平太や岡田以蔵について詳しく描かれた本がありますが、なぜか中岡慎太郎の本は見当たりません。
竜馬は経済的にも恵まれた家庭で育って、なにかしら愛嬌を感じますが、中岡は土佐の庄屋の生まれながら、残っている写真では鬼気迫るような顔をしていますね。
わたしが最初に「竜馬がゆく」を読んだのは、本が刊行されてすぐの頃で、当時わたしは大阪で働いていました。
ところが「竜馬がゆく」を読み始めて、あまりに面白過ぎるので、これでは仕事上の勉強が滞ると、自分ながらに自戒し、やむなく読書を途中で止めてしまったのでした。
その後続きの巻を読み始めたのは数年後田舎へ帰ってからでしたが、ではその当時の自戒後、仕事上の勉強が進んだか、といいますとNOでした。
言い訳ではありませんが、まず仕事を覚える程に仕事の量と時間が増えて、勉強どころではなくなったのでした。
その後はそれを良い事に、元々ヤル気の無い勉強は止めて、仕事人間で生きることにしたのでした。
丁度70年の大阪万博にも間接的に従事していましたから、仕事人間に成らざるを得ないようになっていたのです。
「竜馬がゆく」の題名を聞くたびに、一度はあの、~ 勉強をしなければ・・・~の、追い詰められたような感覚が思い出されて、そしてその直ぐ後、~ 結局、なんだかんだと理由はあったけど、勉強はしなかったなぁ ~との後ろめたき思いが、どうしてもセットで、暗雲のように出現してくるのでした。
< 人間と言うものは、結局人間を見るのが好きだということですね。 昔の中国や東南アジアに行くと、時間がゆるやかに流れていて、街角に終日しゃがんでいる人がいました。 ただひたすらに、行き来する人を眺めているのです。
「ある運命について」 >
これはわたしにも経験があります。 わたしが田舎へ帰った頃は、田舎ではまだ時間がゆるやかに流れていたのでしょうか。
田舎のリアス海岸を車で走っていると、必ず入り江の村落沿いの道の端に、椅子に座った老人が一人居て、道路を眺めていたものでした。
なぜかお婆さんは居らず、すべてお爺さんのみです。 壊れそうな椅子や、道路脇の石などに座り、小さな岬を曲がって来たわたしの車に顔を向けます。
着古したシャツの胸元からは浮き出た肋骨が見え、裸足の片膝を立てて、わずかに原形の残った麦わら帽子の下の顔は、削れた頬など、体全体の色彩は周りの土くれに同化しています。
大儀そうにわたしの車へ向けた顔は、車の後を追い、バックミラーで見ると、見えなくなるまではその眼が追い掛けてくるようです。
そんな人が、海沿いの隣の市へ行くまでに、何度か見えるのです。
地元へ居続けている人には、なんでもない普通の風景なのかもしれません。
しかしついこの間まで、大阪の雑踏の中に居た当時のわたしにとっては、~ 若い頃仕事をした海を懐かしんでいるのかなぁ ~などと、何がしか老人の心を想像してしまうのでした。
現在では、何故かもうそのような風景を見ることはありません。
その時代の老人のトシに、自分がなってしまっていますが、もしかしたら、海沿いの道の木陰で、海と道路を終日眺めているのも、とても幸せな事なのかもしれませんね。
風蘭です。「白妙」と名前が付いています。 名前も、白い縞も涼し気かな、と挙げてみました。
