昨日は図書館へ出かける日で、返すべき本や再度借りる本、また借りていたCDやDVDを持って出かけました。

 

今は池波正太郎さんの「堀部安兵衛」を読んでいる途中なのですが、これが余り面白く無いのです。

 

同じく池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」の方は面白くて、もう6巻目まで借りて読んでいるのですが、そのシリーズを読む間に挟む本に、最近はあまり恵まれません。

 

松本清張さんの「強き蟻」という本と、村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル 上」を借りて読みましたが、両方共それぞれ違う意味で面白く無くて、先日の「昭和の犬」ほどの読後感は湧いては来ませんでした。

 

それだからという事でも無いのですが、昨日は図書館に入って、普段歩かない動線を進みましたところ、普段よく見る棚の裏側へ出ましたが、そこはどうやら小説本の類の置かれた所では無くて、ドキュメントものの棚のようにお見受けされました。

 

どれどれ、と背表紙を眺めていましたら、どうやら病気に関する体験ものなどがありましたが、その隣に、司馬遼太郎さんの本が、「どうだ!!」、とばかりに肩を張っているのが目に留まりました。

 

それが今回借りた「人間というもの」なのです。

 

パラパラとめくって見ましたら、字も小さく無くて読めそうです。 中身を少し読んでみましたら、どうやらこれは司馬さんの言う、「人間というもの」、に付いて、司馬さんの作品から抽出した文語集であることが解りました。

 

わたしは最初、<人間という生き物>、的な受け取り方をしまして、もしかしてわたしの永年の研究テーマに副った、<哺乳類としての人間>、について書かれたものかも・・・、と一瞬思ったのですが、考えてみれば司馬遼太郎さんの本ですからそれは無くて当たり前のことなのでした。

 

早速帰って、事務室で読み始めました。こちらを店で読んで、「堀部安兵衛」は家に居る時に読むことにしました。店では商売以外の本は読まない主義なのですが、致し方ないことも有るのです。

 

昨日は閉店前でしたので14ページまで読んでみましたが、なかなかに面白い内容です。

 

人間生きる上の肝になるような文が並んでいまして、それぞれ、それらが書かれた小説の題が、文末に書かれていますが、これはいわゆる出典ですね。

 

出典が全て司馬さん自身の作品のようですから、この場合は何と言うべきなのでしょうか、自己出典?出自己典?まぁどちらでも良い事ですけど、司馬さんの小説は多分98%以上読んでる筈ですから、出典名も合わせて面白みが増します。

 

14ページまで読んでみて、大体全てが面白かったのですが、とりあえず一つだけ挙げてみます。

 

「たとえばお前さんには、基準というものがないよ」

「なんの基準です」

「人としての生き方の基準、物の考え方、あるいわ行動の仕方についての基準だ」

「基準はないほうがいいです」

韓信は蠅を追うようにいった。

鄙生は、教えようとしている。

「基準を学問と言う、基準の無い人間は、人から信用されない、美でもない、美でもなければ人から敬愛されない」

         『項羽と劉邦 下』 

(美でもない、の所から、少し語句に不明な所がありますが、まぁ感覚としては良く解ります)

 

この文を読んで、或る卑近な例を考えてしまいました。

 

蠅を追うような態度と言い、基準の無さといい、アメリカにも似たような人が居るようだなぁ・・・・と。

 

まだ14ページしか読んでいないのに、読書感を書きたくなる本が有ることに、我ながら驚いています。

 

昨日も34度まで上がり、今日も同じくらい暑くなりそうですが、店番の楽しみだけはどうやらできたようです。