池波正太郎作「梅安冬時雨」を読み終えました。

 

最後に、仕掛人梅安と相棒の彦次郎の会話があります。

 

 「もう一年か・・・そろそろ、こちらの仕掛けをしてもいいころだ」

「いつでもようござんすよ」     (絶筆)

 

となっています。

 

つい「エッ!!」と声を出してしまいました。 そしていかにも悔しい感情がわいてきました。

 

絶筆作品には、過去にも二作ほど遭遇したことがありますが、単にガッカリするものと、一瞬後に、じんわりと悔しさが募る作品がありますが、この作品は全くの後者でした。

 

物語の中では、それまでのいきさつが、いろいろともつれてきていまして、いよいよ、もつれた糸が解けはじめるかな~~、というところで、(絶筆)となったのでした。

 

この文庫本の巻頭には、池波正太郎さんのくつろいだ姿の写真が、数枚載せられています。

 

実は作品を読む前にそれを見ていて、―良く煙草を喫う人だなぁ・・・-と思った後でしたから、―そうか・・・やっぱりなぁーと、嫌な意味で、腑に落ちた感じがことさらしたのでした。 享年67歳とあります。

 

わたしは55歳で喫煙を止めましたが、つい5日程前内科の検査を受けた後、お医者さんに「肺に喫煙の跡が有りますよ」と、言われたばかりだったのです。

 

話は変わりますが、わたしはこの「梅安シリーズ」を読むたびに、イャン・フレミング作の「007シリーズ」を思い起こします。

 

どちらもハードボイルドで、主人公は、早い話が殺し屋ですね。

 

ジェームズ・ボンドは政府機関から、ダブルOの資格、つまり必要な時には敵を殺しても良い資格を得ていますし、藤枝梅安は個人の殺し屋ですが、殺しの相手は、生きていればいる程、多くの人に多大な害を与える者、に限って殺しの対象にします。

 

そしてまた、仕掛(殺し)をするまでのいろんな苦心なども似ているのです。 いろいろと策謀を重ねて、自身も危険の中に踏み込んで行きます。

 

梅安には彦次郎という良き相棒がいますが、ボンドの場合は、そのつど手助けをする相手が変わります。

 

映画では良くボンドガールが登場しますが、原作の方ではそれほどでもありませんね。

 

そして一番は、読んでいて受ける刺激の質です。 イャン・フレミングの小説では、同じような匂いの刺激をわたしは感じていたようです。

 

(絶筆)のあとの解説に、縄田一男氏が書いていました。

 

< ― 梅安は作者の死によって生命を拾った。まったくもって悪運の強い男なのではないか ー

私はそう考えるようにしている。>

 

その文からわたしは、少し穿ったことを考えてしまいました。

 

作品内の梅安は、トシの勢か、ぼつぼつと仕掛人(殺し屋)家業に、心が疲れてきたような様子も書かれています。

 

仲の良かった女とも、大金を店の番頭に託けて、女の留守を幸いにそのまま別れる決心をして、去って行きます。

 

そして梅安は、仕掛人には似合わない、自身の家まで、初めて建て始めるのです。

 

そんな梅安にとって、仕事を続けさせようとする本元は作者ですが、梅安には、作者はもう既に迷惑な存在になってしまっているのかも知れません・・・・。

 

そこで梅安は止むに止まれず、作者に仕掛けを・・・。

 

・・・これはわたしとしての考えでは無くて、実は縄田氏は、本当はそのように、解説末尾に書きたかったのではなかろうかと、しかし、そこは流石に書けなかったのでは・・・と、邪推をするのでした。

 

 

因みに、イャン・フレミングは3度程来日していまして、講道館の柔道練習などを見学したりしています。

 

その際の彼の言葉で、印象に残っているのが幾つか有りますが、一つに、「ウイスキーはサントリーの「白」が一番旨かった」と有ります。

 

わたしは若い頃「白」は金額からして買えず、もっぱら「赤」のみ飲んでいましたから良く憶えていました。

 

それともう一つ、或る記者が「ベストセラー小説を書く秘訣は?」と聞きましたら、「それは、早く次のページを開きたくなる小説を書くことさ」と言ったようです。

 

池波さんの小説を読んでいますと、「なるほど!」と、納得してしまいますね。

 

 

アリストロメリアの花が咲いています。

 

バラも咲き始めました。一番早く咲き始めた花です。

 

ガーベラも咲いています。 ちょっとゴッホの絵に似ていますか?