最近は店番の間に、蘭や盆栽の本も読み飽きて、父の昔の日記を読んでいます。
父の残した日記は二種類あったのですが、最近読んでいるのは、主に仕事上の出来事を書き残した方のものです。
仕事上の日記は、店の中の事務所のロッカーに入っていて、個人の生活上のものは、隠居家の方に残っていました。
わたしは個人用の日記に付いては、父の死後も読む気持ちに成らず、二十冊ほど有った日記帳は、全て市の焼却場にて燃やしてしまいました。
市の焼却場へ持ち込んだ時、係の人から、「書物類は紙類の置き場に置いてください」、と言われましたが、「日記ですから」と言うわたしの顔を見て、若い係員は黙って頷いてくれました。
わたしの固い意志が、表情から伝わったのが判りました。
わたしは、大きな口を開けた焼却炉の中に日記を放り込みながら、むしろ父への供養のようなものを感じたものでした。
日記の中身に付いては、必ずしも読みたいことばかりではないことを、感じ取っていたからでした。
その点、仕事上の日記は、父の個人的な感情はほとんど記されていないのです。
どこから何を幾らで仕入れたとか、まとまった金額が動いた時のことや、わたしが何処へ出張したとか、最初のトラックを幾らで購入したとか、短い文で日々の要点が書かれています。
所々に、孫の誕生日や、発表会、運動会のことも出て来ます。
現在手に取って読んでいるのは、1977年と1978年の日記ですから、わたしが32歳33歳のころで、明治生まれの父は65~66歳の頃のことです。
今のわたしよりも随分若かった時代で、その頃の父はまだ喉頭がんの手術もしていなくて、普通に話すことが出来ていた時代でした。
読んでいて面白いのは、一つ一つの事柄を読んでいる内、わたしの記憶がじんわりと、あぶり出し文字のように後から浮かび上がって来ることなのです。
「そうだ、そんなことがあったなぁ・・・」と思うことばかりで、また「自分はそんなに頻繁に仕入れ出張に出かけていたのか・・・」とも思われるのです。
例えば関東・また関西へ四国へと月に2~3度は出かけていますから、娘に「そんなに度々出かけていたかなぁ・・」と聞きますと、「うん、家に居ないことが多かったで」とシラッとした顔で言って、「一度もお土産を買って帰ったことも無かった」とも付け加えます。
わたしも「知らない土地で目的地を探して、仕入れを済ませて急いで運転して帰るから、土産を買う暇は無いのよなー」と、何時も同じ言い訳をしていた記憶があります。
これは半分は事実なのですね。 フェリーの待ち時間や、高速のサービスエリアなどで、お土産を買うことも出来たのでしょうが、そのような時は、次の目的地への地図を見たり、仕入れや売り上げの計算などをしていて、土産を買うまでの気持ちに至る余裕が無かったことなどが事実なのでした。
父の仕事日記帳は30冊ほどあります。 今読んでいるのは、たまたま手に取り易い所に在った二冊ですが、最も古い物は1972年から有るのです。
最後は、脳梗塞で字が書けなくなった85歳の或る日、で終わっています。
今までも断片的には読んでいるのですが、今回どの年まで読み進んで行くのか、それは自分でも判りません。
ただもう少し、親子だけで商売をしていた頃の充実していた日々を、辿ってみたいなと思っているのです。
去年の3月9日にタネを蒔いたオダマキの苗から、初めて花が出て来ました。
寒い毎日ですから、花も寒そうです。
右のポットも下のポットにも蕾がありますが、ちゃんと咲くまで行くか判りません。
早く暖かく成って、植え替えしてやりたいです。
