またまた意味の無い絶叫が始まりました。

 

午前11時前、近くで女性の絶叫が聞こえて来ましたので、「あぁまた始まったのか・・」と、何となく暗~~い気持ちが胸に漂って来ました。

 

選挙が始まったのです。

 

「いい加減に、どうにかならないものだろうか・・・」、選挙運動が始まる度にそう思います。

 

ただ単に「○○です、お願いいたします!!・・・」と絶叫して回り、電話の声もお客さんとの会話も、一時途絶えてしまいます。

 

それよりも悪いのは、そのけたたましい声が、日常的な精神的平穏さを掻き乱して行くのです。

 

立候補した本人や、その応援をしているガ鳴り嬢たちは一生懸命なのでしょうが、その一生懸命さがアダと成ってわたしには届くのです。

 

もっと普通の声で(マイクで声は通るのですから)、政策の目玉の一つ一つでも喋って通り過ぎるようには出来ないものでしょうか。

 

そのような気の利いた候補者が居れば、わたしは率先して投票先の候補に上げるのですが、皆が皆、ただ叫んで通ると言う、次元の低いパホーマンスが、わたしの記憶ではもう70年程罷り通っています。

 

昔東京知事選挙で、選挙期間中外国に居て、当選した知事が居ました。

 

わたしはその人物を余り評価はしませんでしたが、その選挙中の挙措には、或る種の伊達さと、また少なからぬ傲慢さも感じたものでした。

 

そこまでせよとは言いませんが、従来の、国民のほとんどが辟易している(多分)選挙運動の遣り方を、「少しは改善して遣りたいものだ」、との思いに至る候補者は出てこないのでしょうか。

 

まずあのようなガ鳴りの選挙運動に、「国民は共感してくれているのだ」、との発想が気に入りませんね。

 

あの声からは、「国民とはその程度のものなのだ」、との思いも伝わってきます。

 

わたしの思いでは、気の効いた候補者の出現や、静かで説得力のある選挙運動の慣例化は、多分この先30年程先に成るのではと思われるのです。

 

そこまでの世代交代が必要な・・・、つまり我々世代を勿論含めて居なくなることの必要性が、わたしには感じられて来るのです。

 

と、ここまで先日書いたのですが、あれ以来一度遠くで声が聞こえた位で、選挙カーの姿は見ていません。

 

衆議院の選挙ともなりますと、この田舎では2~3日に一度選挙カーを見るかどうかで、余り深刻に考える程の事でもなさそうな感じです。

ありがたいことです。

 

春蘭の 真紅 という花です。