先日はテレビで、Aiに付いての面白い放送がありました。 AIに関しての、現在までの歴史や将来像など語られる中で、AIの汎用性ということも話題に上っていましたが、それに関して一つの面白い指摘がありました。

 

人は少々のお年寄りでも、30時間も練習すれば自動車の運転が可能になるが、AIを搭載したロボットでは、そこまでの能力を身に付けるまでには今はまだ至っていない。(少々の誤りは有るでしょうけど、大体はこんな話だった気がします)

 

そこを聞いて、横にいる娘に話したものでした。

 

「そのことでワシも考えてことがあるんや、田舎はともかく、都会など多くの車が行き交う中で、良くもまぁ車同士がガチガチ頻繁にぶつかり合わないものだ、とな」

 

「あれだけの車が走っていれば、一つの大きな交差点で、あちこちで何台もぶつかってもおかしくないと思うのだが、皆上手く臨機応変に運転している、多くの人は深くは考えないようだが、これは人間の持つ能力の、具体的な現われの一つなのだろうなと、思うんや」

 

娘は「ふ~~ん」と答えるだけでしたが、それは或る日ドラッグ・ストアーの駐車場で、一人のわたしと同年配のお婆さんが、車からたよりなく降りてくるのをチラッと見た時、頭の中に浮かんだ思いだったのです。

 

このことからは、いろんな考え方が広がりを見せてくれます。

 

年間常に何件かの事故が発生しながらも、事故数は、人に対して車の運転を禁止するほどの%には至っていない、しかし一方、F1レースとなると、それの運転手には特別の資格が必要で、誰にでも30時間の講習と練習だけでは参加の資格は与えられない。

 

飛行機の操縦も同じですね。 30時間の練習では、一般人にとって操縦資格取得は無理でしょう。

(戦争中の操縦士養成機関では、極短時間で戦闘機の操縦を教え込んだという記録もあるようですが)

 

街中で、時速50~80kmで運転する分には、多くの人々が適応している。

 

高速道路では時速130kmで運転しても、然程無理をしているような感覚は生じ無い。

 

そんなことから考えますと、現在のAIの進歩過程の一端も解りかけて来るような感じもするのです。

 

ノロノロと走っている自動運転の自動車を、時々TVで見かけたりします。 

 

現在のAIロボット自動車は、何年も掛けて研究開発した結果、今の姿にようやく到達したのでしょうね。

 

現状のAIロボット自動車は、現時点では一般の運転者から被保護者として守られているような所も見られます。

 

一方で、このことから考えますと、AIには知識、能力の積み重ね、というものが有るようです。

 

あと何十年もすれば、人間以上に安全で且つ高速運転をする域にまで達することができるのでしょうね。

 

人間の場合は、個人的には寿命に限りが有りますし、年々その機能は減退して行きますから、一人の能力の積み重ねには限りがあります。

 

次世代に次々に技術を引き継いで行くとしても、誰でも飛行機の操縦が出来るようには、技術の引継ぎは出来ないでしょう。

 

しかし、人間の間のみの引継ぎはできなくても、AI能力の開発引継ぎという点では、将来飛行機の操縦も出来るが、高速で自動車の運転も出来るロボットが出来ても不思議はありませんね。

 

そしてその能力引継ぎ積み重ねを行うのは、人が遣って行くのですから、人は自分自身ではできない技術の集積引継ぎを、AIに託して行くのですね。

 

AIの汎用性ということから考えてみますと、AIの能力が全ての面で人の能力を超えた時に、AI革命というものが起こり得る、と考えられるのかも知れません。

 

これでは何処かで、AI開発にブレーキを掛けなければならなくなりそうな感じがします。

 

人間はAIの産みの親だが、AIにとっては知性・機能共に稚拙な存在となってしまい、逆にAIの被保護者と成る時代も来そうです。

 

将来、地球大気圏の温暖化が進んでくると、人間は適応できない弱い生物となり、AIに見限られる時代が来るかもしれません。

 

TVで人型ロボットのギクシャクした動きや、AIロボット自動車のノロノロ運転を見ている現在の我々は、そういった意味では、まだ幸せな時代を生きている世代かも知れませんね。

 

書いている内に、話が悲観的な方向へと行ってしまいました。 そして全くの素人の妄想にお付き合いさせてしまいました。

 

ぼつぼつ気を取り直して、暑い中午後の買い物に車で出かけましょう。