谷口桂子著「吉村昭の人生作法」を読んで、の続きです。
吉村氏は何事にも慎重派だったようです。 著者は次の文を本の中に挙げていますが、わたしもこの文は何度も随筆で読んだ記憶が有ります。
<吉村氏の文>連載小説を書いている時、編集者に原稿を渡すのが不安であった。人間は神様で無いのだから、乗り物の中などに置き忘れたりすることは充分に考えられるし、途中で発病や事故に見舞われることもあるだろう・・・。
わたしは80歳を超えて、物忘れが深みを増してきました。 2~3年前までは、忘れ事をしている時、~ 何か忘れているような気がするのだが、なんだったかなぁ・・・~と、頭の隅に何か引っかかっているような、嫌なモヤモヤが脳内に感じられていて、何かの拍子に~ アッそうだ・・・~と成っていたのですが、最近はそのモヤモヤすら奇麗サッパリと無く成ってしまいました。
云わば、忘れていることも完全に忘れている、という状態に一段と深化してきたのですね。 先日も灯油ボイラーのタンクに、灯油を入れていることを忘れてしまい、シャワーを浴びる夕方になって思い出しました。
慌ててステテ・コシャツ姿で家の裏に回り、ボイラーに走り寄りましたら、灯油カンは空に成っているのに、まだ電動の給油器は虚しく回っておりました。
カラカラと鳴るモーター音を聞きながら、これからは本当に気を付けなければいけないなと、深く自覚してしまいました。
商売の方はまだ不自由なく出来ていますから良いですが(体力的な面を除けば)、日常生活の中でのことは、もう何かを忘れている、ということを前提にして生きて行かねばと思っています。つまり自分のことを自分で信用できない、という状態に陥っているようです。
さて吉村氏は慎重故、編集者に原稿を渡した後、原稿が何処かで置き忘れられたりしたら取り返しがつかない、とまで心配をされていたようですが、わたしも若い頃の仕事では、重要書類の取り扱いが多い職業でしたから、その心配する気持ちは良く解ります。
わたしの居た部内の規定にも、書類を運ぶ時は乗用車で運ぶこと、電車で運ぶ時は決して体から離さないこと、などの規定が設けられていました。
わたしは若気の至りで、時々は上司に隠れて、自分の450CCのオートバイに乗り運んでいましたが、その際は必ず腹の部分のズボンの内側に書類袋を入れ込んでベルトを締め、もしもオートバイで転倒しても、書類だけは体から離れないようにしていたものでした。
ついては重要書類の置忘れで、どうしても思い出すことがあります。
わたしが家業を継いでまだ数年たった頃でした。 田舎では見かけないセンスの良い背広姿で、その上に高級そうなコートを着た中年の男性が店に立ち寄ったことがありました。
一目見て、田舎では見かけない着こなしから、あぁ他所の都市から出張で来た人だな、と思われました。その紳士は、一言二言話して店の中を見回し、一鉢の花を買って帰りましたが、お金を払う時、店の片隅の低い机の上に手提げ鞄を置いたままで、店を出て行ったのでした。
わたしは暫くして、あっこれは今の人のだと気づき、慌てて追いかけましたが付近にもう姿が見当たりません。
手提げ鞄も高級そうだし、これは直ぐに気が付いて取りに帰って来るだろうと待ちましたが、とうとうその日は来ませんでした。
明くる日も来ませんでしたから、あの人は何処で置き忘れたかさえ分からないのではと、鞄を開けて連絡先を探すことにしました。
そのまま警察に届けることも考えましたが、そうしますとあの人は、一生会社内で、重要(多分)書類を出張先で置き忘れたダメな男として、評価が定まって行くことになるだろうと考えたのでした。
それはわたしの、書類の取り扱いに対する身に焼き付いた思いから、自然に発せられたことでした。 若い頃の職場でも、重要書類を一時的に紛失した同僚が居て、どれほどその同僚が複数の幹部から叱責され、また数年間にも亘って落ち込んでいたことか、それを見ていたわたしには、身に沁み込んだ特別の感情が有ったのでした。
鍵の掛かっていない鞄を開けてみました。 或る建設関係の大企業の名が印刷された書類が沢山入っていました。
わたしは置き忘れた人の連絡先が解れば良い訳ですから、書類の中身はなるべく読まないようにして探しましたが、どうやら社内事故、それも人身事故に関する裁判記録などなどが多数入っていることが解りました。
書類はやはり、外部に出てはいけない重要書類だったのです。
わたしは複数の名刺類や、個人を特定できるものを中心に探していきましたが、その内運良く運転免許証を探し出したのでした。
104番に電話をして居宅の電話番号を聞き、家に電話をしてみました。 奥さんらしき人が出ましたから、わたしの住所と名前を名乗り、事情を話しましたら、外出中の御主人が帰宅したら連絡をするという事でした。
その日の夕方、ご主人から電話が有り、お礼の言葉と共に、直ぐに取りに伺いますとのことでした。
そしてどのように都合を付けたのか、明くる日の夕方にはわたしの店に来られたのでした。
菓子折りを持って来られましたが、表情がとても硬く、緊張しながらもわたしの顔色を窺うような目付きで鞄を受け取りました。
わたしにはその心理が良く理解できました。 わたしがどのような人間なのか、どのような態度に出て来るものなのか、頭を下げながらも慎重に推し量っているのだと思われたのです。
わたしは努めて明るい表情で、免許証が入っていたから本当に良かったですわ・・などと話し、書類は見ていませんからと、あっさりと応対するようにし、相手が少しでも安心するよう演技を続けました。
男性も長居はせず、また多くは語らず、何度も何度も頭を下げて鞄を抱えて帰って行きました。
わたしは、これで良かったのだ・・・、彼が本当に心の底から安心できるのは多分一年位先のことだろうけど、その時、あの時のあの若い店主は、本当に何の心配もしなくて良い人間だったのだ・・・、と思えるのだろうと考えられたのでした。
もう50年も前のことでしたが、結果的には本人の為にも良かったのではと、今でも思います。
その人は今生きていれば100歳近い年齢でしょうけど、その後はどのように会社勤めを果たしたのか、少しは気になったりしますね。
ギンぎアナムが咲いていますが花が少ないです。
此方はセッコクで「雷姫」という名が付いています。


