大島真寿美著「渦」(妹背山婦女庭訓、魂結び いもせやまおんなていきん、たまむすび)直木賞を読み終えました。 この物語は江戸時代の操浄瑠璃作家、近松半二の一代記です。
大阪は道頓堀に在る浄瑠璃小屋、竹本座の立作者にまで上り詰めた半二の姿が、テンポの良い文章で、軽快に語られています。
操浄瑠璃は半二の時代から250年程経った今では、文楽と呼ばれ、また人形浄瑠璃と呼ばれたリしていますが、その中に流れる伝統芸は今でも脈々と受け継がれているようです。
わたし自身は文楽とは縁がありませんが、江戸時代にも登場する吉田姓の人形遣いには、後々のイーデス・ハンソンさんとの繋がりなどが思い出されたものでした。
この前に読んだ「戦争まで」とは、ガラリと変わった内容ですが、共に女性の書かれた文章で、一方は大学教授、また此方は作家の方ながら、共に文の中から女性特有の豊かな優しさのようなものが滲み出てくる感じがします。
わたしも若い頃には9年近く大阪で暮らしましたが、忙しい仕事の関係で、ほとんど娯楽というものには縁が有りませんでした。
唯一の娯楽は、映画鑑賞でした。 大阪北部の吹田市に住んでいた期間が長かったですから、映画は主に大阪では北と呼ばれた梅田近辺で見ることが多かったのです。
それで南の道頓堀周辺や、難波、天王寺辺りは、通ることはありましたがほとんどが仕事上のことで、休日の遊びに結びつくことは有りませんでした。
映画の他には、娯楽としてはプロ野球も好きだし、大相撲も子供の頃からラジオで毎度聞いていました(吉葉山が横綱に成った頃からのファンでした。それと奄美大島出身高砂部屋の初代朝潮のファンでした)が、大阪場所を見に行こうかとか、野球観戦へ出かけようか、との発想は全く有りませんでした。
やはり忙しい仕事の関係で、手っ取り早い映画鑑賞くらいしか思いつかなかったのです。
文楽や歌舞伎に付きまして、こちらは娯楽としての好みさえ湧いて来ませんでしたね。
子供の頃母親がデパートの招待で、歌舞伎鑑賞へ二度ほど出かけお供をさせられましたが、内容は何のことやら、とにかく義太夫節の声は子守歌のようにしか聞こえず、コクリコクリと舟をこいでいるばかりの記憶しかありませんでした。
そのような意味では、操浄瑠璃にも全く関心は無いのですが、この小説ではまるで自分も、竹本座の下っ端の一部の人間であるかのように思わせる真迫感が有るのです。
そして道頓堀界隈にねぐらのある人間のようにさえ思わせます。
一つには、わたしが職人者の話に特に興味を持つところからも来ているようですね。
これまでも、浮世絵作家や画家や作家の人間話は好んで読んで来ました。 或る意味芸術家を、職人者と呼ぶのはどうかとも思うのですが、物作りの世界、ということから見ますと出発点は同じでは、と思うのです。 またずーと下々にはわたしも居るようです。
昔住んでいた吹田の地図が手元に有ります。 同じく住んでいた後輩との話の時に、納戸から引っ張り出してきたようです。
大阪万博が吹田市北部で開催された翌年の地図です。表紙の写真は千里ニュータウンのようです。
万博会場の跡地は、だだっ広い空き地で、まだ「万博記念公園」という名称さえ有りません。
ベビーカーの赤ちゃんは、わたしの娘より一つ歳上位になるようです。
懐かしき独身時代最後の日々が詰まっている地図なのです^^
追記
先日の映画記録に書くべき、一つのすばらしい映画を思い出しました。
図書館で立ち読みしていた本の中に出て来て、おもわず「アッ」と声を挙げてしまいました。
それは「西部戦線異状なし」なのです。 レマルクの原作は高校生の時読みましたが、映画は大阪へ出かけて後に観たのです。
両方共すばらしい反戦内容でした。 今後もまた、こんな調子で「アッ」となるかも知れません^^
