映画「オッペンハイマー」を見終えました。 何も事前情報を得ていないわたしとしては、なかなかに理解し難い構成で始まります。

 

何故解り難いのか解るには暫し時間が掛かりましたが、戦中オッペンハイマーが中心に成って原爆開発へと進む過程と、戦後のオッペンハイマーに対するスパイ疑惑に関する聴聞会が、画面上で度々出入りするからなのでした。

 

映画では良く使われる手法としてストーリー上での時間の交錯がありますが、何故それを行うのか、単に単調さを補うための目くらましもあれば、時間の前後の交錯が、ストーリー構成上大きな意味を掘り下げることに繋がる場合も有るようです。

 

この映画の場合はどうなのでしょうか? それはオッペンハイマーが原爆制作に携わる以前に、まずアメリカ国内での共産党員であった弟の感化を受けて、度々共産党員との繋がりを持っていたことが挙げられていて、それがその後時代が飛んで戦後のソ連へのスパイ疑惑へと繋がって行く萌芽として現わされているのですが、これは返ってストーリーの散漫化にも繋がっていたようにも思えるのです。

 

シンプルに、オッペンハイマーの共産主義に対する理解過程を描き、原爆開発への主導者としての働きを描き、その後にまた戦後のスパイ疑惑へと進んで行った方が、事実の時系列的にも忠実で、余程事前知識の無い初見の者にも理解度が高まるのではないかと思われました。

 

わたしのように何も予備知識の無い者にとって、オッペンハイマーの原爆開発時の画面に、突然繋がりのない人物が白黒画面で登場して、前後の経緯も示さないまま、どうやらオッペンハイマーへの疑惑を話しているらしき場面は、巻き戻して見ても戸惑うばかりなのでした。 (単にわたしの理解度が薄いということも言えますけど)

 

なるほどこのような流れか・・・、と解るまでは、それら戦後の諮問委員会の場面は意味の不明なことの連続で、何か時間の出入りが小手先の無意味な手法のようにさえ映ってしまいました。(一つには重要な語句が早口で語られ、字幕の展開が早すぎる点にもありました)

 

戦後オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれ、多くのアメリカ兵を救った英雄として称賛されます。

 

しかし敗戦間近だった日本人に大きな犠牲を出したことを知り苦悶します。

 

そしてソ連との核開発競争を心配して水爆の開発にも反対します。

 

そして後には失脚させられるのですが、鑑賞後にこの映画がアメリカで大きく評価された理由がわたしには理解できませんでした。

 

興行収入的にも大ヒットとなったようなのですが、何故なのか・・・。

 

アメリカでの高評価の意味が解らないのは、わたしが日本人だからなのでしょう。 そうとしか考えられないのでした。

 

アメリカ軍による夜間の都市大空襲や、その挙句の原爆投下。 いくらナチスドイツが開発する前に原爆を作らないといけなかったとはいえ、ドイツが降伏したから日本に落とすという中半実験的投下。

 

この映画が、原爆の父と呼ばれたオッペンハイマーの稀有な生き方を描いた巧緻な作品として、アメリカで大きな評価を得たことは事実として、はたして日本人のどれだけの人がこの映画を評価し得たのか、わたしには解りませ。

 

途中ニューメキシコのロスアラモスで最初の原爆実験が行われた場面で、~失敗をして大爆発から周囲に甚大な被害が起きても良いのに・・・~とふと思ったことも確かでした。 (このことは、現在の或る国に関するニュース映像を見ていても、同じような考えに至ったりしますね・・・)

 

そしてまたふと、日本の映画「母と暮らせば」などを思い出してしまったのでした。

 

憎しみからは憎しみしか生まれ難いようですね。