店番をしていて暇な時、相撲があれば相撲を見て、ヤル気が有る時は蘭の植え替えをして、その他は時々テレビを見たりしていますが、わたしは市内の住宅地図も良く見ます。
「ゼンリン住宅地図 96」というものですから、今から29年前の市内の様子が描かれています。
わたしが若い頃は商品の配達も多く、ゼンリンの住宅地図は必需品だったのですが、現在は偶に配達に使うものの、ほとんどわたしの暇つぶしの道具となっています。
地図を見ていると、市内の住宅地には住居の上に鉛筆で書いた○印が所々見られます。
それはお客さんと話していて、「あぁ此処なのですね」、などと言いながら印を付けた跡なのです。
使用していたのは長年の間ですから、結構あちこちに○印は見られます。
父の元気の良い頃は、父がお客さんに聞いた場所をわたしに伝え、配達に出かけることも多く有りました。
そんなことを思い出しながら住宅地図を見るのですが、父との会話の中で、一人仄かに後悔をすることも有るのです。
父は86歳で亡くなりましたが、それまでは比較的元気な方で、亡くなる1年前までは店に出て来て事務仕事などをしていました。
しかし丁度70歳の時喉頭がんを患いまして、声帯を取り除き、それからは猛勉強の後食道発声法というものを身に付け話していたのです。
もともと父は努力家でしたから、食道発声法も技術的に腕を上げ、数年後には県庁所在地に在る医科大学の食道発声法指導者に任命されていました。
或る日嬉しそうに話していたことなど思い出します。 「タクシーで医大の玄関に着くと、看護婦さんが玄関前に何時も迎えに出て来ているんじゃ」
そんな父はまた話好きな方でして、そんなことからも食道発声法は必要の母として技術向上に役立っていたのかもしれません。
さてそんな父がわたしに配達先を教えてくれる時ですが、話好き故かどうしても説明が長く成るのです。
まず自店の場所から配達先まで、順を追って説明を進めて行こうとするのです。
それで気の短いわたしは「まず、配達先から教えてや」などと言います。
父は「まぁ此処から言わんと解らんのじゃ・・・」などと言って、長々と道筋の説明などしながら目的地まで辿ります。
それでようやく辿り着くと、ちょっとイライラしていたわたしは「判った!!」などと言って店を飛び出し、運転して出かけます。
ところが「判った!!」などと言って良く地図を見つめていなかったわたしは、目的地付近で迷うことが良くありました。
住宅地は同じような道に同じような家が並び、番地を憶え、角の家の名前などを確認していないと解り難い場合が多いのです。
それでも「解らんかった」などと言って帰る訳にはいきませんから、真剣に探します~~しまった、もう少し良く見ておくべきだった・・・~~などと思いながら。
それでもどうしても解らないときは店に電話をしていました。 父は電話には出ませんから聞けるのです。
電話の隣で父が聞いていたとしても、背に腹は代えられませんから。
そこまでして父の長い説明を避けていたのですが、今となれば、~~良く聴いてあげていれば良かったなぁ・・~~などと思うのですね。
「孝行をしたい時には親は亡し」などと、映画「東京物語」にも出てくる語り尽くされた言葉がありますが・・・。
住宅地図を見ながら、度々多くの買い物をしてくれて、何度も配達に出かけた子供の幼稚園の先生の実家や、配達に行くたびに焼酎の小瓶とお菓子をくれて、従業員が何か誤解していたらしきお婆さんの家、また良く可愛い小型犬に吠えられた家や、未だに蘭置き場の見える亡くなった蘭友の家などなど、多くの家々に纏わるいろんな事情などが思い出されてくるのでした。
わたしにとっては古い地図は、まるで53年間のタイムカプセルのようなものなのですね。
店の事務所で地図を見ているわたしを見付けた娘は、「また見ている・・・」と笑いますが、「うん・・・」などと言いながら、これだけは何度見ても見飽きることが無いのですね。
クリスマスローズの花がなかなか開きません。 詳しい方のブログを見て、小屋の日の当たる場所に置いているのですが。
次は知人の画家の方のカレンダーです。 絵で日付けがほとんど見えませんけど、それもまた良しです。
PCのギャラりーでは縦だったのですが、こちらでは横向きになってしまいました。
わたしはこれ、人物画ならより良いのだがなぁ、と思うのですけど・・・、花の中に目鼻を付けて、澄ましているのも面白そうなのですが、本人に言う勇気はありません^^;

