西村賢太著「苦役列車」芥川賞と、「おちぶれて袖に涙のふりかかる」を読み終えました。

 

前に暗い小説を読み始めましたと書きましたが、この本のことでした。

 

両方共作者の私小説のようで、作者と同じく主人公も中学卒となっています。

 

中学卒とは言え、中ば中退的な感じで、どうにか 見放され卒業 した主人公は、母親から離れ一人暮らしの中で港湾労働者となって生活を繋ぎます。

 

一人暮らしで自暴自棄的生活を始めるのですが、その切っ掛けは、父親が性犯罪加害者として逮捕されたことであり、そのことにより生まれ育った地域を逃げるように離れざるを得なくなったことが原因でした。

 

その上に主人公にはもともと狷介な性格も有ったことから、真の友人と言うものは出来ず、港湾労働でも唯一親しく話が出来た大学生の若者とも遠ざかり、相変わらずの労働を続けて行くのですが、労働中でもズボンの後ろポケットに、私小説作家藤澤清造の小説コピーが突っ込まれていることが書かれています。

 

このことで主人公の後半生が予告されているようで、やはりこの小説の内容は、作者の中卒後の経験から書かれていることだったのだなと、窺えるのでした。

 

この小説を読んだ感想ですが、ホームレスすれすれの若者の物語そのものと、それらを語る上の、どこから引っ張り出してきたものか不明な、作者独特の語句や偏執的な言い回しが妙に順応していて、その相乗効果は読んでいて確かに受け入れられるものがありました。

 

そして多分その付近が、受賞評価にも記されているのでは、と勝手に思ってしまいました。

 

続いての短編「おちぶれて袖に涙のふりかかる」も、同じこの本の中に収められているのですが、ここでは「苦役列車」の主人公が既に中年の作家と成っています。

 

それも私小説作家となっているのですが、それほど目が出たとも言えぬ立ち位置で、各種の新人賞を狙って奔放な生活を送りながらも、川端康成賞の候補には二度なっています。

 

「おちぶれて袖に涙のふりかかる」は、そんな作家としての中途半端な生活の中の自分自身に対して、また出版界や小説家諸々への、恨み節が書かれているような作品でした。

 

「苦役列車」からの続き物の様相ですが、何となく後戻りしているような作品にも感じられました。

 

 

次はまたガラリと変わって、時代物、青山文平著「白樫の木の下で」直木賞を読みます。

 

なんとなく、水溜まりから出てきた犬が足をブルブルと振って、泥水を飛ばしているかのような心境で、心持ち新たに読み始めるつもりです。

 

 

プリムラの蕾がようやく上がってきました。 今日は朝から冷たい雨で、寒風も吹いています。 この蕾もなかなか咲きそうにはありません。

 

明日は朝0度の予報ですから、蘭小屋ではまた―2度になりそうです。