今年もわたしの拙文を読んでいただきまして、ありがとうございました。

 

来年の一月中にわたしは80歳になるようです。 今年はやや体調が優れない日がありましたが、10月ごろから飲み始めた漢方薬が効いて、どうにか普通に働けるようになりました。

 

今後も体が動く間は、ぼつぼつと働いて行こうと思っています。

 

そして本を読んで、音楽を聴いて、映画を観て過ごしたいと思っています。

 

また来年も気ままな作文を続けて行きたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

来年が皆様にとって幸せな年でありますように願っております。

 

 

さて読書の方は、最近は阿部公房著「榎本武揚」を読んでみました。

 

しかしどうもわたしには馴染めず、半分以上読んだ所で止めてしまいました。

 

馴染めない訳は判っているのです。 わたしは以前から明治維新前後の本を比較的多く読んで来ましたが、「榎本武揚」の中に多く書かれている部分だけには、どうにも興味が湧いてこない過去があるのですね。

 

つまり大久保大和と名乗った近藤勇が処刑されたあたりから、幕府寄りの軍が会津方向へ移動する間の事なのですが、まさにこの本はジャストミートでそのことに多くのページが割かれていました。

 

題名から、榎本武揚自身の思想や行動、特に軍艦による戦いや五稜郭での施政また軍事的指揮状況などを期待して読み始めました。 その中には当然阿部公房作ともなりますと阿部氏独特の私感も視感も色濃く塗りこめられている筈、との思いも有ったのです。

 

しかし思いは虚しく、大鳥圭助と土方歳三を絡めた軍の移動中の四方山話がわたしからすると延々と続いて行くのでした。

 

そしてこの作品の主題の中には、榎本武揚の生き方について、変節漢と言うべきかどうか・・・、の問題提起も重要な部分として取り上げられているのですが、安倍氏の思惑は読者に任されているようにありました。

 

わたしはもともと榎本武揚の生き方に不快感は持たないほうでして、むしろ土方については何らの感慨も持ち得ないほうでした。

 

このようなことで、残念ながら阿部公房作のわたしにとって二作目の作品は、途中挫折となってしまったのでした。

 

文中ちょっと面白い表現が有りました。

 

土方歳三のことを、榎本武揚が語るのですが、何とも言えない、どのようにとって良いか判らないような表現なのですね。

 

「ああ、土方か、あいつは星を眺めている犬みたいな奴だったなあ・・・・」

 

考えれば考えるほど、茫漠とした表現で捉え所がありませんね。

 

土方歳三も他の隊員と同じように、脚色され尽くした姿しか知りませんから、実像は何とも判り得ませんが・・・、解っている出自などは武州の薬売り家の息子で、歳三とは さいぞう ではなく、 としぞう と呼ばれていたくらいのような感じがします(私感ですが)。

 

としぞう の呼び方も、昔司馬遼太郎さんが土方の在所を訪ねた時、近所のお百姓さんが「トシさんの家なら、そこの角を回って・・・」というようなことを言ったので、 としぞう と解った。 くらいのことですから、近代のことながら不明なことは多いようです。

 

それにしましても、星を眺めている犬、とは。

 

阿部公房氏の創作なのでしょうが、それだけに阿部氏の土方感が少しは判るような気もします。

 

次はガラリと変わりまして磯崎憲一郎著「往古来今」(おうこらいこん)泉鏡花賞を読み始めました。

 

この作家は「終の住処」で芥川賞を受けていますから、今回の本によっては読んでみるつもりにしています。

 

 

セッコクの花です。 春よこい、と言った感じがしますね。