その後もいろいろと本を読み続けていますが、少し前には逢坂剛さんの「カディスの赤い星」直木賞を途中まで読んで止めて(何となく少年探偵物のような感じを受けて)、滝口悠生「しんでいない者」芥川賞を読んでみました。
こちらは最後まで読めましたが、あまりこれっと言った感慨は持ちえませんでした。
ただ内容から或る昔の懐かしい風景を思い出してしまいました。
この「しんでいない者」の内容は、或る家庭の祖父の通夜の状況が中心に成っていまして、通夜にお参りした人たちや、お参りに来なかった人たちに付いての内輪の話で構成されているのでした。
まず集まって食事や飲酒をしながら話し込んでいる多くの大人たちの間柄、それは祖父の息子、娘たちやその従妹であったり、また義理の兄妹であったり、近所の人達であったり、趣味の会の繋がりであったり、全ての人達にとって、回りの全ての人達の繋がりは解っていない中で、いろんな話にあちこちで騒がしく盛り上がっている状況。
その中にまた子供たちの群れもあり、祖父から見れば孫やひ孫に当たる者たち、既に社会人に成っている者から、大学高校中学小学校へ通っている子供たちが大人の間を通り抜け、見知らぬ爺さんから「お前は誰の子じゃ?」などと聞かれたりしています。
そしてまた仏間では線香を絶やすまいと番をしている者、そこへ酒を下げて来て話し込んでいる内線香が消えて、祖父さんごめんな、などと言いながら新しい線香へ火をつけている者。
これらのことが延々と語られていますが、これらはまた10年程前までは普通に見られた田舎での通夜や葬儀の後の風景だったのです。
わたしも何度となくこのような葬儀や通夜には参加してきました。
そして一番に思い出すのは、自分の祖父の葬儀の後の風景でした。
わたしはその時21歳で、大阪で働いていましたが帰省して葬儀に参列し、神戸に住む姉も新婚でしたが夫婦で帰省していました。
昔のわたしが生まれ育った家の居間でちゃぶ台を囲っていたのは、53歳くらいの父と、その少し歳下の叔父と10歳程離れた下の叔父、そして姉の婿さんである義理の兄とわたしでした。
なにかつまみを食べながら、日本酒の熱燗を飲み、父たち三兄弟は顔を赤くして話に夢中になっていました。
三人が大きな声で話ながら、思い出話に何度も何度も泣いては笑い、笑ってはまた誰かが泣き始めるのです。
21歳のわたしは多少冷めた目でみながら、なんと多情多感な人たちなのだろうかと、横目で義理の兄の方をチラチラと見ていたものでした。
神戸から来たおとなしい義理の兄が内心呆れているのではないだろうかと、少し同情しながら気遣いをしていたのでした。
あの多情な三人と義理の兄とわたしたちは最後はどのようにお開きになったのか、そこまでは覚えていなのですが、多分わたしの母たち女性軍に迫られていやいや解散をしたのだろうと思われます。
もうわたし以外の人達は既にこの世に居なくなりましたが、小説「しんでいない者」は、わたしにあの時代の人達の温かい涙を思い出させることとなりました。
こうして書いてみますと、わたしは作者の意図にまんまと捉われてしまっていたのかも知れませんね・・・。
先ほど図書館から電話があり、リクエストしていた阿部公房の「榎本武揚」が入ったとのことでした。
現在高野和明著「十三階段」乱歩賞という本を読んでいますから、次の楽しみにしたいと思っています。
クリスマスローズが開きました。 名前が有るのか無いのかも分かりませんが、良い花のような感じもします。
次の鉢の開花はまだまだ先のようです。
