「無花果の森」を読み終えました。 この作品は文学賞受賞作品とは違って、芸術選奨文部科学大臣賞受賞となっています。
「等伯」の巻末に幾つかの作品が並べられていたのですが、あらすじとその受賞名をみて興味が湧き読み始めました。
そのあらすじとは、「夫の度重なる暴力から失踪した女が、身を潜めた地方都市で生き抜く姿を描き切った・・・」
と言ったもので、失踪、逃亡生活というものに関心が湧き読んでみることにしました。
しかし夫の度重なる暴力、という所は余り読みたくはありませんから、まぁ嫌な所は飛ばせば良いわ、と読み始めたのです。
人が普段の生活から止む無く失踪して、世間の目を気にしながら生きて行く・・・。
こんなところに何となく興味が湧くのですが、長生きしていますと、いろんな人を見て来ていますから、心の何処かに他人事では無いような感情も有るのでしょうね。
最初はやはり目的地の無い列車での旅から始まります。 夫の出張の日を待って、取り合えず身の回りの物だけカバンに詰め、とにかく見知らぬ町へと出かけるのです。
そしてとある岐阜県の小さな駅で降り、そこでの生活が始まって行きます。
この物語は、辿り着いた岐阜県の町に住む二人のユニークな人間の存在に支えられているように思われます。
その内の一人の老画家の家の庭に、大きな無花果の木が有ります。
最後まで読み終えて、この小説は女性作家による女性に向けた小説なんだなぁ・・・、との思いを持つこととなりました。
文部科学大臣賞受賞というのも判るような気もします。 暴力夫以外は、全体にポジティブな人物たちの繋がりですから。
物語に出てくる無花果つながりで考えますと、無花果(いちじく)とわたしとは、余り良い思い出は無かったことに気づきます。
そしてまた淡い縁しかなかったことも感じられます。
生れてこのかたわたしは何個のいちじくを食べてきたのか、多分多くても6個迄位だろうと思われます。
そしてその内美味しいと感じたいちじくは、最後の一つだけだったように思うのです。
あとはいずれも水っぽくて、味がほとんど感じられないものばかりでした。
しかもそれらは全て頂き物か、他家に行ったときに出されたものですから、しかたなく終わりまで我慢して食べ終えているのです。
しかし最後の一つの記憶は割と鮮明です。
わたしが多分40代初めの頃でした。 或る先輩の蘭屋さんを訪ねた時出してくれたのがいちじくでした。
そこの蘭屋のオヤジさんは、行くたびにオロナミンCや果物などを出してくれるのです。
時々一緒に出掛けていた子供などは、オロナミンCのおいちゃん、などと親しみを込めて言ってたものです。
わたしは「・・・いちじくかぁ~~」と思いながらも、笑顔で礼を言って皮を剥き食べ始めると「なんと!!いちじくの食べ方を知らんのか~~」と、オヤジさんが如何にも~情けない~といった口調で言います。
「えっそんなのが有るのですか・・・」と言いましたが、もう食べ始めているのでそのままかぶり付いて食べていましたら「まぁ良いわ~」と本当の食べ方なるものは教えてくれません。
しかしその時のいちじくは最高に美味しかったのです。 「あぁこれがいちじくの味と言うものか・・・」と、初めてその本当の味を味わったものでした。
それ以来いちじくを食べたことはありませんから、もう何十年も本当の食べ方なるものは不明のまま、最後の一個の美味しさだけは舌に残っています。
しかしその後には必ず、味の無い水っぽい不味さのほうも忘れずに脳に蘇って来るのですねぇ。
わたしにとってのいちじくとは、最後の本まもんの貴重な味を薄めないためにも、今後はなるべく口にすべきではない果物になっているようです。
本まもんのいちじくを作っている方にはすみませんが。
キンギョソウの割と新しいタイプです。花にボリュームがあります。
ネメシアです。 小さい花で宿根です。

