オリンピックが始まりました。 オリンピックでは何の競技よりも柔道が楽しみで見ています。
自分が若い頃8年間真剣に遣っていた競技ですから、当たり前と言えば当たり前なのですが、当時から観ている時の自分の心理には然程変化は無いようです。
しかし面白いのは、柔道を卒業してからの数年間は、テレビで見ている時座っていても自分の身体が自然に動いていましたが、最近ではドンと座って見ていて全く体が動かなくなったことです。
若い頃は選手の激しい攻防を見ていると、まるで自分がその場の選手のように、技を掛けられたら体が防ぐ動きをしたり、ヒヤッとする場面では思わず体を固くしたりしていたのです。
それは自分でも恥ずかしい程で、自分で無意識に動いた後、誰か見ていなかったかなぁ・・と周囲を気にするほどでした。
それが何時の間にか 動かざること岩の如く になってしまいました。
それにしましても今回の柔道の試合でも、おかしいなぁ、と思う事が既に幾つかありました。
寝技で絞め技に入られている時、審判がマテを宣告して、絞められている方は聞こえているのに絞めている方は聞こえていなかったと言って絞め続け、絞められた方が落ちたからと言って負けに成るなど、今までは見たり聞いたりしたことの無いことでした。
それに、絞められて落ちた(失神した)場合、何も蘇生手当をされずに、即本人が自ら蘇生したのも珍しいことでしたが、これは試合で見た経験はありました。
浅く落ちた場合には有る事なのですね。 ほとんどの場合審判が落ちた選手を畳の上に腹ばいにさせて、多くは背中の両肺の後ろを両手で何度か押せば蘇生します。
それにしても落ちた日本の選手は瞬間のことで、直後は自分が一瞬間落ちたことに気が付いていなかったのかも知れません。
後では段々と気付くのですが(この辺のことは以前創作「落ちる」に書きましたが)それで、試合はマテでまだ続いていると思い込んでいるのに負けを宣告されて急に当惑したのかも知れませんね。
そうでなければ、試合の後畳の上に立ち続けていた時、「マテだったのに・・・!!」とのジェスチャーをするか、審判に you said mate!!(これで正しいかどうかは別にして)と言うはずですけどね・・。
わたしなら「マテだろ?」くらいは何度も言いますね。 審判も判定に自信が無いからか早々に居なくなりました。
あの場合どうして主審は他の審判の意見を聞かなかったのかも不思議でした。
審判の判定が絶対だとは分かっていても、未熟な審判には困りますね。 わたしも小さな大会で一度だけ審判を遣らされましたが、自信の無い中、試合は単純に終わりホッとしたことがありました。
それにしましても日本選手の決め技に 袖吊り込み腰(そでつりこみごし) が良く使われるのが目立ちますね。
わたしたちは「そでつり」と略して言っていましたが、確かに掛けやすく効果的な技なのです。 わたしは柔道を始めて二年目に、初めてその技を京都の高校卒のもの凄く強い友達に教えて貰いました。
「○○ちゃんは腕の力が強いから、そでつりの練習したら良いと思うけどなぁ・・」その時の友達の表情まで憶えています。
そしてその後一度だけそのそで吊りの技で一勝しました。 ちょっと中途半端に決まり 技あり で勝ったのですけどね。
オリンピックの柔道はまだまだ続きますね。 楽しみです。
そうそう忘れていました。 阿部詩選手の大泣き。 彼女には悪いけど、聞いていて気持ちが良かったです。
久しぶりに人間の本音の大泣きを聞いて、清々しい気分になりました。
柔道のあの過酷な練習を、わたしたちの千倍万倍もやって来て、ちょっとしたはずみで負けてしまいました。
相手の動きに合わせてしまって、無理な体制から大内刈りに行ったことも悪かったのでしょうけど、相手もさる者ながら不運なところもありました。
あの瞬間は、彼女の記憶の中に一生残って行くのでしょうね。 凄い大きな経験だったなと思いました。
それにしましても毎日暑いです。 植物の水遣りに外に出るのに、決心が要るようになっています^^;
暑い中セッコクが元気です。 新芽が伸びてきています。