夏に成ると何時もの事ながら、水難事故のニュースを聞くことと成ります。 今年も悲しい事故があちこちで起きているようです。

 

わたしは自分の子供が小さい頃、この子たちは海や川で事故に合わずに、どうか無事大きく成って欲しいものだなぁ・・、と夏が来るたびに思っていたものでした。

 

私の住む町は、海も川も近くに在り、危ない所でも子供だけで遊ぶことを大人は放任しているような風潮があったのです。

 

わたし自身も初めて泳ぎ始めたのは小学4~5年生の頃でしたが、それは足の届かない川であったり深い高校のプールで、誰に教わることも無く見よう見まねの犬掻きを憶えてからのことでした。

 

広い河岸の岩に上がり、一緒に出掛けた年上の近所の子に「飛び込むから助けてくれや」と言って足から飛び込み、むちゃくちゃに犬掻きをして足の着く所までようやく進む、そんな危ないことをして泳ぎを憶えていたのです。

 

わたしがまだ泳げない夏休みの或る日、近所の町中を流れる川で遊んでいる時、知らない子が急に深く成っている所で溺れ始めたことがありました。

 

その川は、学校では危ないから遊んではいけないと言われていた川でしたが、当時は多くの子供たちが泳ぎに来ていて、あちこちで大きなはしゃぎ声が行き交い、年上の子は深い所で泳ぎ、中には高い橋から川へと飛び込んで勇気を誇示したりしていました。

 

わたしたち低学年の子は浅い所で泳ぎの真似などして楽しんでいましたが、その川は砂利の採取場でもあったので、浅い場所でも砂利をシャベルで掘り取って急に深くなった場所も有り、危険な川だとされていたのです。

 

わたしたち小さな子は、川に腹ばいになり、パチャパチャと飛沫を上げては手を川底に付き泳ぎの真似をするのですが、川の中で急に深く成っている所は見えないので、運の悪い子はその深い中へ頭から沈み込んで行くこととなります。

 

わたしたちはその急に深くなった部分をフカリと呼んで恐れていましたが、子供仲間でもフカリへ入ってどうにか助かった子や、悲しい結果になった子の話は聞いていました。

 

浅瀬に立つわたしのすぐ横で、小さな男の子が慌てて両手で水面を叩き始め、水飛沫を激しく上げ始めました。

 

何が起こったのか一瞬解らなかったのですが、見つめている内、恐ろしいこと起きていることは子供のわたしにも解りました。

わたしはただおろおろするばかりで、その子を見つめていました。

 

周囲の子もただ驚いた顔で、その小さな子の必死の動作を見つめるばかりだったのです。

 

その時わたしたちより年上の男の子が来て笑い始めました。 「アハハ溺れてやんの・・」

 

その言葉を聞いた直後の自分の行動には記憶がありませんでした。

 

気が付けば目の前の水の中に少年の白い背中があり、小さな肩甲骨が激しく動いていました。

 

わたしはまだ泳げなかったのですがバタバタと足を動かして、ただその小さな白い背中を前に押すことだけを続けました。

 

幸いにそこのフカリの周囲は狭かったらしく、小さな男の子は砂利の淵に取り付いて顔を水の上に出しました。

 

ふらふらとようやく歩く子は直ぐに河原に座り込み、激しくむせながら唾液を垂らしました。

 

隣に座ったわたしは、何をするべきかも判らず、ただ子供の口から伸びて河原の石まで届いた唾液を見つめ、少年の青い顔を見ているだけでした。

 

ようやく小さな子供の息が治まった頃、一人のおばさんが来て「まぁあんた大変じゃったな・・・」と顔を覗き込みました。

 

わたしは隣に座り少し腹が立ってきました。 今頃来て何を言ってるんだと心の中で思っていました。

 

どこかのおばさんも来たし子供ももう大丈夫なようなので、その場を離れて、もう泳ぐ気にもならず川原に置いた服を着て自転車で家に帰りました。

 

家では川でのことは誰にも話しませんでした。 親たちに話すことでは無いと子供ながらに感じていたのです。

 

もう少しで目の前で小さな子が死にそうだったことや、上級生の笑い声を聞いて、泳げないのに川の中へ突然意思なく潜ったことが自分のしたこととは思えず、とても家で話す気持ちにはなれませんでした。

 

 

先日も幼い妹を助けようとした中学生の姉が、海で溺れたニュースが流れました。

 

そのようなニュースを聞くたびに、助けようとした子の気の動転した衝動を思い起こすのでした。

 

幸いにわたしはたまたま少年の後ろから飛び込み、目の前の背中を押したことで自分も助かりました。

 

あの時の水の中の白くて小さな背中が、今でも鮮明に脳裏に浮かびます。