最近は映画の方はダメですが、本と音楽には良いものに恵まれています。

 

「マンガ 日本の歴史」では、ようやく坂本龍馬たちが登場してきまして、知っていることの復習や新しいことも知ることができています。

 

歴史の本と併読しているのが、田原総一郎氏の自伝「塀の上を走れ」ですが、これも面白い箇所があり、楽しんで読んでいます。

 

この本の中でまず面白かったのに、氏の祖母に当たる人の言葉がありました。

 

氏の祖母は1874年明治7年に裕福な商家の娘として生まれたそうで、誇り高き人だったらしいのですが、なかなかウンチクある言葉を残されています。

 

人の生き方として運、鈍、根、が大事、と話されていますが、その内容が面白いのです。

 

「運が良いかどうかは、人生にとって大切なことで、人間は運がいい方がいいに決まっている。運はあらかじめ決まっているものではなく、自分の力で切り開いていくものだ。

 

運を味方につけるためには、まず鈍になることだ、バカになって、小賢しいことはするな。要領よく生きたりするな。そうやって

鈍になって、あきらめず根気よくやっていけば、運は開けてくるものだ」

 

もう一つは、三方善の生き方というもので

 

「人の為に尽くせ、人のためによくせよ、そうすれば自分もうまくいく、世間からも認められる」

 

わたしは後の三方善もなるほどと思いましたが、運、鈍、根にはより強く感じるものがありました。

 

自分を翻って見たとき、正にこの鈍がピッタリと当てはまるようで、そういえば鈍そのものだったなぁ・・・とも思えるのです。 (小学校の頃から走るのも遅かったし・・)

 

若い頃の大阪での仕事も、鈍の一字でやってきましたし、商売を継いでも鈍と根ばかり。

 

別に自分に言い含めなくても、鈍として自然に生きるようになっているのですから、根としてやって行くしかありません。

 

鈍と根でずっと長年やってきたつもりですが、運は?となると、後から着いてくるものなのか・・、それならもうそろそろ着いてこなければ、あとは余りないのだけど・・・、と思うのですね。

 

しかしまぁ考えように寄れば、現在まで仕事をどうにか続けて来れている訳ですから、それが運だと言われれば、なるほどそれは小さな運と言えば言えるのかも・・とも思っているのです。

 

鈍!!と大きくやれば大きく響き、小さい鈍、では小さい運の響きしかないのかも知れません。 

 

 

この本はまだまだ読み始めたばかりなのですが、図書館からTELが有りまして、リクエストしていた阿川弘之著「米内光政」が入ったとのことです。

 

こちらは県立図書館からの下りものですから、2週間の間に読んで、地元図書館へ返却しなければいけません。

 

遅読のわたしですから、田原氏の本は一応後回しにして「米内光政」の方から先に読むことにしました。

 

音楽も図書館のCDで良いクラシックを聴いていますし、これで良い映画に巡り会えますと言う事は無いのですが、なかなかそうも行かないようになっております