今度はフィリップ・フーズ著「ナチスに挑戦した少年たち」という本を読みました。
デンマークでの第二次大戦中の話です。
この本は、先日図書館で「長崎ぶらぶら節」を借りて帰りながら、棚の間を歩いている時、正面の棚からふと目の中に飛び込んで来た本でして、~ よし、今度はあの本を借ろう ~と、眼を付けていたものなのです。
他に付近の本二冊を借りましたが、まずこの本から読み始めました。
やはり読んでいて興味の広がる本でして、読みながら自分の考え方まで揺れて変化して行くのが感じられました。
1939年第二次世界大戦が始まり、翌年ドイツ軍は不可侵条約を結んでいたデンマークへ侵攻します。
朝から午前中の間にコペンハーゲンや他の都市を制圧しますが、デンマーク国王はドイツの進行を認め、不戦を誓い、ドイツの平和的占領が始まります。
一方ノルゥエーはドイツの侵攻を受け激しく抵抗しますが、二か月の戦いの後降伏します。
そんな中、デンマーク国民の間では、ドイツ軍と平和共存を望むものも多いのですが、まず最初に中学校の生徒の間から、大人たちの態度に不満を持って、ドイツ軍に対して抵抗しようとする機運が生まれます。
その抵抗勢力の中心にクヌーズ・ビーダスンという男子生徒が居るのですが、この生徒は親(牧師)の事情で転居しますから、二か所で抵抗グループを創っています。
最初はオーゼンセという所で結成したRAFという名の組織です。
RAFとは、ドイツ軍戦闘機と果敢に戦い、イギリス本土を守ったイギリス空軍のパイロットたちのことで、その名を貰っています。
次に移ったのはオルボーというデンマークで4番目に大きな都市で、そこではまたチャーチルクラブという、これも尊敬するチャーチルの名前を付けた組織を創っています。
彼らは二か所で対ドイツ軍活動を行いますが、当初大人たちには評価されず、非行少年並みの扱いしか受けられないのです。
特にドイツ軍相手で儲かっている商店などからは嫌われますし、ただただ平穏な生活を望む人々からも、非難されます。
デンマークは、ドイツ軍からの執拗なユダヤ人狩りには抵抗し、国内の多くのユダヤ人をスエーデンへ逃亡させたりはしているのですが、ドイツ軍と戦争をしようとは政府国王共に思っていないのでした。
そんな中、チャーチルクラブでは小さな抵抗運動から始めます。
ドイツ軍の隙を見て自動車のエンジンを壊したり、ドイツ軍の車に青いペンキを塗ったりしますが、その内徐々にエスカレートして行き、ライフルを盗んだり、軍用貨車を燃やしたり、砲弾を盗んだり大砲を壊したりし始めます。
しかしドイツの軍人を殺す場面は書かれていませんでした。 おそらくそこまでの行動に出るには15~6歳の少年には発想としても無理があったのでしょう。
一度そのような必要性が仲間で語られていますが、「後ろから鉄棒で殴るのは卑怯なことだ」と言った結論で、取りやめになっています。
また或るドイツ軍の監視所から銃を盗もうとしますが、ドイツの兵隊に見つかり呼び止められて、暇を持て余している年寄り監視兵の話し相手に成ったりしています。
そして「また遊びに来いよ」などと言われて、作戦を行う意欲が削がれ中止しているのです。
しかし抵抗作戦が続くにつれて、ドイツ軍も捜査を始め、グループは8名ほどが逮捕されてしまいます。
そして刑務所へ送られ、2年から5年の刑に服します。
出所後も、その頃ようやく出来ていたデンマークのレジスタンスに、クヌーズ・ビータスンは参加して活躍します。
その後ドイツ軍がソ連戦線で敗れ、デンマークからも撤退しますが、チャーチルクラブの行動はデンマーク国内では特に評価はされず、その存在の記憶も消え去ろうとします。
しかし転機が訪れたのは、イギリス軍がデンマークへ進出してからでした。
イギリス軍の総司令官は大戦中からチャーチルクラブの存在を知っていて、そのメンバーに会いたがっていたのです。
その後はチャーチルクラブのメンバーはチャーチル本人にも会え、デンマークの中でも英雄として扱われるように成ったのでした。
簡略に書きますとこのような内容なのですが、振り返ってみますと、決してチャーチルクラブは大きな抵抗作戦をしたわけでも無くて、ドイツ軍に対して多大なダメージを与えている訳でも無いのですね。
そして初期には、デンマーク国民や親たちからも、要らぬ波風を立てる少年たちとしてしか見られていません。
そんな中でのチャーチルクラブなのですが、その根本に有るのは、年齢から来る、親たちや国のドイツに対する従順さへの反発だったのでしょうね。
大人の考え方と少年たちの感情の差が良く現れている、歴史上の事象だと思われます。
わたしもこのチャーチルクラブの存在に対する評価には、或る種の迷いが生じます。
やはり年齢から来るものなのでしょうが、わたしがメンバーと同じ年頃だったらどのように感じるのだろうか・・・、勿論ナチスドイツの所業をある程度知っての上のこととなるのですが、それでも考え方に揺れが生じることは確かに有るでしょうね。
当時ドイツ軍の兵隊がレジスタンスに一人殺されたら、その町の人間を数十人処刑していた事実があったようですが、そんなことも考えますと、チャーチルクラブの存在は微妙な位置に在ったような気にもなるのです。
しかし取り合えず言えることは、戦後78年間平和な中で暮らしてきた者にとっては、平和を望んだ国民の立場を取るのか、抵抗運動を始めた少年たちの立場を理解するべきなのか、と思った時、ただ両方の存在の事実を、事実として知ることだけしかできないような、そんな気がしてくるのでした。
先日の港で、30cm位の魚が泳いでいましたが、わかりますかねぇ。
