寒くなりますと暇な時間が多く成りまして、健康のための山登りの時間も持てるようになりました。

(寒さで外での松の手入れはできませんが、山には登れるのです^^)

 

午後4時ごろから、車で10分ほど走った町中にある小山に登っています。

 

以前も書きましたが、子供の頃から親しんだ山で、この街中で育った少年にとっては、誰でもが思い出の多い山なのです。

 

先日の東京の従兄も、少年の頃の思い出として、電話の中で良くこの山が登場します。

 

わたしはセッカチなこともあり、またなるべく早く店に帰りたいことも有り、3つのコースの内、比較的急な登山道を登るように

しています。

 

(わたしの何時も昇る路です)

 

その路は多くの老若男女が昇る路と違い、急な上に幅も狭く、ゴロゴロとした石や木の根が露出して、その合間の柔らかい土の部分は、夜間イノシシが掘った跡が多く見られます。

 

写真の狭い急坂は、昔弟と登った場所です。

わたしが高校一年生、弟は中学一年生の年でした。

 

二人でより険しい坂を登ろうと、この斜面を四つん這いで登り始めましたが、途中上から石が落ちてきました。

 

わたし達より上に居た子供たちが、足を踏み外して石を落としてしまったのです。

 

石は最初はゆっくりと滑り降りましたが、途中から急に飛び上がり、円盤を縦にした形で下に向かって飛び跳ねながら落ちてきました。

 

わたしは杉の木の陰へ隠れながら、離れている弟に「危ない、隠れろ」と叫んだのですが、石はまるで弟を追い掛けるように鋭く進路を変えて、弟の右足をかすめ下へと落ちて行きました。

 

弟は足を抱えて座り込み動かなくなりました。

 

わたしは弟の脇の下に手を入れ、とりあえず上のやや広い路へと支えて登りました。

 

右足の踝の付近をかすめた石は弟の足を削り、白い肉まで見えていました。

 

上の道には石を落としたらしい子供たちが数人路に座っていましたが、皆小学生らしく、わたしは、お前たちが石を落としたから弟が怪我をしたのだ、とだけ言って、それ以上は激しく叱らず弟を支えて山を下りました。

 

山の下には小学校が在るので、学校の水道水で弟の足を洗いましたが、弟は足の感覚がマヒしているようでした。

 

弟を支えどうにか家まで帰り、父親が怪我を消毒した後、黄色の粉薬をたっぷりと盛り上がるほど掛けて、包帯を巻きました。

 

そのあくる日のことでした。

 

朝の登校前、我が家の店の前に当時珍しい外国製の乗用車が止まり、背広を着た中年の紳士が訪れてきました。

 

店先で父親に向かい、お宅の子供さんに山で怪我をさせたのは私の子供でした・・と言って、直立してお詫びの言葉を述べ、深く頭を下げました。

 

山の上に居た子供たちの誰かが、弟を知っていたことが窺えました。

 

わたしの父親はやや驚いた様子でしたが、それでわざわざ来て頂いたのですか、それはご丁寧に・・と、笑顔で答え、見ているわたしは少し、何だもう少し怒った顔でもすればよいのに・・と思ったものでした。

 

下校後聞いたところでは、その紳士は病院の医師で、その人の病院で働く外科医に診せるから子供さんを預からせて欲しい、ということで、弟を乗用車へ乗せて病院へ行った、ということでした。

 

それから毎朝、我が家の店の前に乗用車が止まり、医者が降りてきて弟を伴い出かけて行きました。

 

弟はわたしと違い、色白で可愛い顔をしており、小柄で細身の身体に親から着せられた外出着を着て、チョコンと乗用車の後ろ座席のドアの横に座り、真っ直ぐに前を向いて出かけて行くのです。

 

わたしは登校前に弟を見送りながら、何故か少し羨ましいような心境にもなったことでした。

 

そして乗用車の後ろ座席が似合う弟と、自分の間に、今までには決して感じたことの無い空虚ができたような・・、そんな心境にもなったものでした。

 

 

もう今から60年以上も前の思い出ですが、山に登ると、あちこちに今は亡き弟との思い出が落ちています。

 

それらを踏みしめながら、登るときは何時もゆっくりゆっくりと登って行くのです。