久しぶりに運転して出張してきました。
一つの仕入れ先には、早くもシクラメンが出ていました。
また帰りには、稲刈りの済んだ田圃にヤギが食事を兼ねて草刈りをしていました。
何時もなるべく国道を避けて、このような山間部の道路のほうを走る様にしています。
さて先日は懐かしい映画に巡り会いました。
「シェナンドー河」という映画なのですが、随分昔に見ている映画で、ほとんどストーリーを忘れていましたので、面白く見返すことができました。
面白く、と言いましても、単に面白い、と言う風な映画ではありません。
南北戦争最中での、牧場を営む一家の物語なのですが、頑固な父親(ジェームス、スチャート)は、戦争に一切関心を示さず、年頃の息子たちを誰一人兵役にも出さず、周囲の非難の目にも平然として、ただ一家の牧場経営に力を注いでいるのです。
そんな一家なのですが、7人の子供の内一番下の16歳の男の子が、拾った南軍の帽子を被っていたために、北軍の捕虜と成ってしまいます。
それで父親は5人の子供を連れ、牧場を離れて下の子を取り返しに出かけます・・・。
と、そのような内容なのですが、初めの方でちょっと驚いたセリフに行き当たりました。
7人の子供の内の唯一の女の子が年頃で、近所の青年が結婚の許しを受けに家を訪れる場面なのですが。
その時の、青年と女の子の父親との会話の場面。
これが実に懐かしい場面で、昔の若かった頃の自分とその時代まで思い出す会話が交わされるのです。
(ここまで書きますと、これを読んでいる神戸の姉は~もしかして、あれかな~と思うかも知れません)
青年「わたしは○○を愛しています。どうか二人の結婚を許してください」
女性の父「君は娘を愛していると言うが、じゃぁ君は娘のことは好きなのかね、愛しているだけでは長続きしない、何年か後には愛が消え去ることもあるのだ、だが娘のことが好きなのなら別だ、愛している前に好きだったなら長続きもするだろうから、許さぬでもない」
青年「好きですわたしは○○さんが好きで、愛しているのです」
女性の父親「じゃぁ結婚は許してやろう」
と二人で握手をしたあと、青年は回れ右して部屋から出ようとしますが、後ろの小さな椅子につまづきバタンと倒れてしまいます。
これらのセリフの場面を見たとき、そうかこの映画の中のセリフだったのか・・・・と、懐かしさが湧き上がってきたものでした。
まだ結婚に幻想を抱いている若かった頃、なるほどなぁ・・と、自分の過去も振り返りながら身に染みる思いが在ったものでした。
このセリフを聞いたわたしの、それまでの事とその後のことは書きませんが、映画から受けた幾つかの心に残った足跡の内の一つを、50年以上経って再び見つけた気分がしたものでした。
まるで過去への、心の旅路、ですね。
何十年も映画を見続けていますが、時々このようなことが有るから、ガッカリすることも多い中、いまだに吠えるライオンを見ながら、また丸顔の自由の女神をみながら、また天を照らすサーチライトの光等々・・・を見ながらついつい期待をしてしまうのです。
子供の頃映画館の暗闇の中、ブーーと成るブザーにドキドキした思いは、いまだに変わっていないようです。


