ハリー・ゴードン著「生きて虜囚の辱めを受けず」副題「カウラ第十二戦争捕虜収容所からの脱出」を読み終えました。

 

この本は副題の通り、1944年8月にオーストラリアのカウラに在る戦争捕虜収容所から、日本人捕虜が大量に脱走した事件の詳細が描かれています。

 

第二次大戦時の日本人捕虜生活に関する本は、大岡昇平さんの「俘虜記」と胡桃沢耕史さんの「黒パン俘虜記」他短編数編を読んでいますが、この本のように、日本人捕虜が大脱走したという事実に関しては、初めて知る内容でした。

 

そしてまた特筆すべきは、この場合の日本人捕虜の脱走の目的は、大脱走の後戦線に復帰してオーストラリア軍と再び戦おう、と言うものでは無いのです。

 

何故脱走を計画して実行したのか、その目的の大部分が「生きて虜囚の辱めを受けず」に有ったのです。

 

自分が生きて捕虜に成ったことが国の軍隊に知れれば、自分は非国民として扱われるだろうし、故郷の人々もそのように思うだろう。

 

そして親兄弟は非国民の家族として、身の置き所の無い思いをする筈だ、とそのような思いから捕虜たちは、戦場で捉えられた瞬間から偽名を使い、軍人ではなく軍属の者だ、などと言って身分を隠すのです。

 

そしてまた自分たちは、何れ皆自ら命を絶って、捕虜の辱めから解放されなければならない、と捕虜生活中常に考えているのです。

 

生きて虜囚の辱めを受けずの文言は、他の俘虜記にも度々出てきますが、この収容所のように、集団でそれを実行に移す行動は、他には見られないことのように思われます。

 

どうしてそのような集団自決のような発想が生まれたのか読後考えてみました。 此処の収容所は、今までに読んだシベリアや南方戦線の収容所の環境と違い、衣食住の内、特に食の面で恵まれているのです。

 

特にシベリアの捕虜生活を扱った書物などによりますと、重労働の上に粗食しか与えられず、毎日が死ぬか生きるかの線上を彷徨っているような状況のようなのです。

 

事実何万人も餓死したり、栄養失調から病死しています。

 

ところが半面オーストラリアのカウラでは、ナイフやフォークさえ与えられて、衛兵よりも贅沢な食べ物を得ていたようなのですね。

全てオーストラリア政府による、戦争捕虜に対する施政からきた結果のようです。

 

衣食足りて礼節を知るという諺がありますが、この場合の捕虜たちにとっての礼節とは、生きて虜囚の辱めを受けず、のみだったようです。

 

隣の地区で捕虜生活するイタリア軍の捕虜たちの陽気さとは、真逆の精神状態が、日本人捕虜間に芽生えて行き、より強化して行ったのは、敵から与えられた生だからこその屈折感、身体的健康から生まれた心の屈辱感、そして戦陣訓に堅められた筈のわが身を振り返った時の罪悪感に寄るものだったように感じられます。

 

そしてまたそれらが組織化された原因には、厳格な士官、下士官との共同生活があり、若年の飛行兵などの純真な軍人精神による同調があったものと感じられます。

 

大脱走は夜間に始まり、オーストラリア軍による銃撃や、同時並行的に行われた捕虜たちの多数の自害が有り、多くの犠牲を出して後収束しています。

 

一方その間、脱走した日本兵が、近在に住むオーストラリアの一般住民に対して、全く危害を加えていないことが、その後のカウラの町と元捕虜たちとの間の長い親交にも、結果として表れています。

 

 

わたしの伯父と叔父は、大戦後数年間シベリアにて捕虜として過酷な生活を送っていまして、マイナス30度以下での重労働の話などを断片的に聞いています。

とても詳しくは話す気力さえ湧くことも無い程の過酷さ、が聞いていて窺えたものでした。

 

そのような地では、生きて虜囚の辱めを受けず、よりは、生きたい、という本能しか身体の中に存在はしないのではと思われます。

 

人間は環境に或る程度適合できる動物のようですが、思想的自滅がその環境に寄る働き掛けである場合、まずは餓死の恐れは無い、ということが、一つ言えるのかも知れません。

 

今回のこの本には全然書かれてはいないことでしたが、考えがそちらの方向へと行ってしまいました。

 

 

今度は何を読もうか・・・と思いながら図書館へ出かけましたが、運転中ラジオから 応仁の乱 のことを話している男女の声が聞こえてきました。

 

それで そうだ自分には苦手な、日本史の古代からの本でも読もうか と思いまして探したところ、打って付けの本がありました。

 

それは 「マンガ日本の歴史」 石ノ森章太郎さんの本です。

 

この本は何巻も有りますので、暫くは楽しめそうです。

 

まずは そうか縄文時代とはBC13000年も前から始まったのか・・などど驚きながら、今頃子供の頃習った(サボった)ことの復習をしています。