今日は8月6日、77年前に広島へ原爆が落とされた日です。
そしてまた、わたしの四人の孫の内、一番上の女の子の誕生日でもあります。
大阪に住む孫は、早いもので19歳になったとのことです。
そこでふと自分の19歳の頃を思い出しました。
わたしの19歳の誕生日のことは、昔のことながら割とはっきりと覚えています。
それはその当時在籍していた大阪の専門学校の、修学旅行中のことだったからなのです。
昭和39年1月のたしか日光東照宮参拝予定の日の朝、前日から泊まった旅館の廊下の藤椅子に座り、友達のカメラのシャッター音を聞きながら「そうだ今日は19歳の誕生日なんや」と思ったことが、その思いと共に一枚の写真に納まっているからです。
18歳の誕生日のことも、20歳の誕生日のこともはっきりとした記憶の中にはありませんが、そんなことで19歳に成った日のことは、今でもその瞬間だけを思い出せます。
わたしが19歳に成った年は、前年にアメリカでケネディ大統領が暗殺された年であり(友達からそのことを学内で聞いた時、「最後の言葉はなかったか?」と友達に聞いたことが思い出されます、当時わたしはケネディ大統領に関心を持っていましたので・・)また19歳のその年の10月には、東京でオリンピックが開催されたのでした。
東京オリンピックでは、高校時代の友人が水泳で同メダルを獲り、わたしはその前の2月には専門学校を卒業し、大阪の街で初めて社会人としての一歩を踏み出したのでした。
街中の路地を歩いていると、家々からテレビのオリンピックを伝える声が聞こえてきて、東洋の魔女たちの活躍が華々しく語られていました。
わたしは3畳一間のアパートに、日替わり反対番勤務の同僚二人と共に住み、一昼夜の仕事をしてはアパートへ帰っていました。
電化製品も家具も何もない部屋で、八百屋さんから貰ったリンゴ箱が一つ畳の上に据えられていました。
高校を卒業してそのまま家の商売を継ぐのが嫌で、親に頼んで大阪へ出て働かせてもらいましたが、27歳になる直前まで忙しい日々を過ごしました。
わたしの19歳は、そんな日々の第一歩を踏み出した年であり、無我夢中の日々の始まりの年だったのです。
そして今日は女子孫が19歳。
わたしが生まれて77年間平和であったように、孫たちの一生も平和な一生で在って欲しいものです。