マクワが採れたので、父が昔彫った苫屋と一緒に撮ってみました。
吉村昭氏の「アメリカ彦蔵」を読み終えました。
壮大な物語でした。 物語と言いますより、吉村氏の緻密な調査による幕末国内外の一大絵巻、とも言えるほどの内容だったと思いました。
彦蔵の乗った船が難破し、漂流したのちにアメリカの捕鯨船に助けられ、サンフランシスコからハワイへ、そしてマカオから清国へ、そしてその後サンフランシスコからモンタレイ、またまたサンフランシスコからニューヨーク、そしてボルチモアからワシントンへ、・・・その後もサンフランシスコ、ニューヨーク、ワシントンを何度も往復した足跡が詳細に綴られ、その間に会った人々(他の難破漂流民も含め)のことが逐一彦蔵の目を通して語られています。
その後幾多の遍歴の後、念願の日本への帰国、当時の国内の幕末の事情、等々、吉村氏の調査の期間の長さとその精度の計り知れない深さが、例の感情を切り取ったような文章から伝わってくるのです。
わたしは確かこの本は、20年以上も前に一度だけ読んでいると思われますので(自分の書棚の本ではなくて、当時も図書館で借りて読んでいるので)、幸いなことにほとんど記憶に残っている部分は有りませんで、全く新鮮な気分で読むことができました。
そしてまた、津本陽氏の「椿と花水木」はジョン万次郎の物語でしたが、この吉村氏の「アメリカ彦蔵」を先に読んでいたために、直ぐにはジョン万次郎関連の本の方へ行く気は起こらなかった、その当時の自分の気分まで思い出してしまいました。
漂流記で「アメリカ彦蔵」以上のものは無いだろう、と思って、心の何処かで、ジョン万次郎関連書物を軽んじてしまっていたような気持ちがあったからなのです。
しかしジョン万次郎が描かれている「椿と花水木」を7~8年前に読んで、まだ多少記憶の残っている中、今度再度「アメリカ彦蔵」読んでみて、両者から渦巻いて立ち上がってくる相乗効果のようなものを確かに感じてしまいました。
同じように難破して、アメリカの船に助けられた者同士のその後の生き方の違いが、峻別され比較でき、また一方、両者に共通した特異な孤独感のようなものが感受できたからなのです。
難破という運命に弄ばれた二人が、その後も遭遇した場所と時代の違いの中で、それぞれの運命に弄ばれながらも懸命に且つ真摯に生きた姿は、両者を読んでみてより深く理解できたような気がするものでした。
さて、このように引込まれた本を読んだ後は、何を読むべきか・・・と思うのですが。
もう少しまた「私の好きな悪い癖」を読んでみようと思っています。
熱読したあとの、すこし気が抜けたような心持になっていることは、これは仕方ないことですねぇ。
