我が家には父の残した絵が数枚ありますが、その内の二枚は、色鉛筆で描かれたらしくカラーになっています。

カラーで描かれた二枚の絵の複写を、先日頼まれて東京の従兄弟に送りましたが、それらが二枚ともパソコンに残っています。

父はどちらかと言えば多趣味でしたが、わたしと同じ商売人でしたから、ほとんどが家にいて出来る趣味に限られており、短歌や俳句、水墨画、色鉛筆画などが数点残っているのです。

 

色鉛筆で描かれた絵は、一枚は父が生まれて育った大正時代の家の周辺であり、もう一枚は、父が当時通った小学校の鳥観図です。

家の周辺図は今でも事務所に飾っていて、時々絵の由来を尋ねる方に説明をしています。

そうすることで、父があの世で喜んでいるようで・・・。

(父の生前から飾ってやれば良かったと、実は今でも悔やんでいるのです)

 

今日はパソコン内に保存した写真を見ていまして、明治44年に生まれた父が通った小学校(我が家ではわたしの姉弟までが通った小学校です)の鳥観図の方を、ブログに挙げてみようと思いつきました。

この絵の面白さは、小学校の休み時間に、校庭いっぱいに散らばった生徒が、ありとあらゆる遊びに興じている姿を描いていることなのです。

ちょっと写真が小さいのが残念ですが。(クリックすると多少大きくなるようですが)

 

 

当時の子供の遊びと、昭和20年生まれのわたしの子供の頃の遊びには共通するものは多いですが、この中で描かれている遊びで、現在でも行われているものは有るのでしょうか。

ボール蹴りをしている子供が居ますが、これは現在でもサッカーとして良く遣られていますね。

後は遅くとも昭和30年代までの遊びのようです。

 

竹馬乗りをしている数人が居ます。 一人は倒れているようです。

あの竹を握ったまま倒れた時は、地面と竹の間に指が挟まれて痛いことこの上無いのですが、そんなこと今の子は知らないでしょうね・・。

 

か~ごめ、かごめ を輪に成ってしてる子たちも居ますし、綱引き、砂遊び、騎馬戦、縄跳び、馬跳び、鉄棒、ろくぼく、鉄柱に鎖でグルグル、地面に絵描き、自転車の輪ッカ転がし、誰かが指揮して合唱、二人で帽子の取りっこ、などが描かれていますが、傑作は画面下の方の、小遣いさんらしき人が巡査に平身低頭してる図なのです。

 

あそこは小学校の正門なのですが、なにか生徒の悪戯か何かで、巡査から注意を受けることが有ったのでしょうか。

父親の細かい芸が見て取れますが、おそらく父は微笑みながらこの図を描いたのでは・・と思われます。

 

わたしは我が家の地理的関係で、この小学校へは毎日裏門から入り、裏門から出て帰りましたが、裏門の方角はこの絵の上部に成りまして、父はそこまでは描いていません。

父は当時正門側から通う生徒だったからですね。

 

わたしたち兄弟はその後の引っ越し後に生まれていますから、皆裏門通学となっていました。

わたしは幼稚園生のころ、一度だけ正門から帰る友達と一緒に下校して、皆が家に帰った後道が解らなくなり、迷い子になったことがありましたが、子供ながらに一度は正門から帰ってみたかったからなのです。

 

絵を見ながら思いましたが、この絵の中にいる父をはじめ、ほとんどの男子生徒はその後成人してからは赤紙を手にしているのでしょうね。

楽しそうに無邪気に遊んでいる子供たちの何名かは、戦場で戦死している可能性が高いことだろうと思われます。

 

微笑みながら父は絵を描いたのでは、と書きましたが、絵の中の子供に、〇〇ちゃん○○ちゃんと父が名を付けながら書いていたとすれば、それもちょっと判らなくなってしまいました。

 

絵の中で、現在の小学校に残っている建物は全く有りませんが、わたしが通っていた頃には正面上の講堂だけがそのまま残っていました。

板敷の黒光りする古い講堂の中も良く憶えています。

グランドピアノが据えられてあって、音楽の時間はその講堂の中で授業がなされていました。

わたしは姉が学校で覚えた歌を家で歌うものですから、学校で習う歌は全て事前に憶えてしまっていたものでした。