大きい方の松です。
ちょっと根張りが・・、立ち上がりは良いですが。
小さい方の松です。 小さいと楽です。
取り合えずこれだけ切りました。
16日から黒松の芽摘みを始めています。 やや元気の良くない松ですから、標準からしたら早めの芽摘み始めです。
黒松の手入れには、大体15年以上のブランクがあったのですが、或る会社の人に頼まれて年間契約で二鉢預かり、今年で3年目となっています。
それまでも他所から何度か黒松の手入れを頼まれることがありましたが、丁重にお断りしてきたものの、現在預かっている松は、その会社の先代社長さんからのお付き合いですから断り切れなかったのです。
わたしは27歳から植物関係の仕事に就きましたが、盆栽に関して基本的な勉強は、松の手入れから始めました。
それまでの仕事は全くの畑違いのものでしたから、文字通り0からの勉強でした。
後を継いだ家の商売は元々植物関連のものでしたが、それまで盆栽は全く扱っておらず、~ せっかく後継ぎができたから何か取扱商品を広げようか・・~ との思い付きのようなことから、始めたのでした。
わたしの所から車で2時間半位の市に、盆栽の良い先生が居るとの話を聞いて、昭和48年の1月6日に初めて訪ねて行きました。
1月のまだ誕生日が来ていない日ですから、わたしが28歳になる間近な頃でした。
盆栽の先生は多くの弟子を持つ方でしたが、皆さん盆栽教室の生徒として習っている人ばかりで、わたしが初めての個人授業を受ける生徒と成ったのです。
初めて先生の家を訪れた時のことは、今でも日記帳に残っていますし、その時先生の家の座敷で挨拶をした時の光景も憶えています。
その時先生から「天狗に成ったらその時で進歩は終わりだ」と言われたことも良く憶えているのです。
それから数年間は先生の家に通い、盆栽修行をしましたが、盆栽修行は盆栽の手入れを憶えることと同じように、営業、つまり仕入れと販売も当然大事なことと成ります。
最初に、二人で四国へ五葉松の仕入れに行くことから始めました。
鉢植えの実生(山から五葉松のタネを採取して蒔き、畑で数年育ててその後鉢で育てた)五葉松を100本200本単位で仕入れてきまして、丁度冬ですから、枝抜き針金掛けをして、一応盆栽らしくしていくのです。
何もわからない中ですが、とにかく先生の言うこと遣ることの真似をして、数をこなして行きますと、段々と要領が解ってきたものでした。
先ず盆栽の正面を決め(これがとても大事で難しいことなのです、消去法理論で決めていきます)抜くべき枝を決めて切り、残す枝の選定と剪定をして針金(焼いた銅線)を巻いていきます。
出来上がった五葉松の盆栽は、当時流行っていた交換会へ出してお金に換えるのです。
ほとんど全てのものが仕入れ値よりも高く売れ、盆栽手入れのヤル気も増して行きました。
その後も二人で仕入れと勉強も兼ねて遠くまで出かけました。
埼玉県の盆栽村へも行きましたが、そこへは列車で行きましたから、勉強のみとなりました。
尤も高級品の盆栽ばかりで、我々の仕入れの対象となるようなものはなかったのです。
しかし黒松の本場、愛知県の豊橋や豊川、岡崎などへは度々出かけました。 千葉県の東金や九十九里浜付近へも出かけましたし、広島へも何度か行き、四国はくまなく回って行きました。
それらは全てわたしの1.5トントラックや、先生のライトバンと言われる貨物自動車で出かけるのです。
二人で眠気覚ましに煙草をスパスパ吸いながら、運転席から煙をたなびかせて長距離を運転したものでした。
その内わたし一人でも仕入れに出かけることと成りました。
京都から奈良和歌山へとぐるりと回って行き、小品盆栽を仕入れたり、サツキが流行りだしてからはまた埼玉や千葉へ仕入れに行きました。
とにかく蘭と違いまして、盆栽は仕入れも売るのも自分で運ばなくてはいけませんので、全て車を運転して出かけていくのです。
わたしは田舎の町に住んでいますから、一番近い所でも片道3時間以上は運転していました。
出張先から良く家に電話をしていましたが、子供たち3人からお土産を頼まれても一度も買って帰ったことは有りませんでした。
それ程忙しく走り回っていたのですが、その反動で、大阪にいる長男は、出張の度に自分の子供にはお土産を買って帰るそうです。
盆栽の難しさは、手入れの難しさプラスに、価格の判定にありました。
高級品になるほど、その両方が難しくなり、〇百万以上の高級品に至っては、趣味者や我々のような並みの商売人の手には負えなくなります。
例えば100万円の黒松にしても、2年間まともに手入れしなければ、たちまち10分の1の値打ちに成ってしまいますし、もう2年間放っておけば枯れるかまた10分の1に成りかねません。
それで扱う品物が高級に成れば成るほど、毎晩食後には2時間ほど何らかの手入れをしていました。
また価格の設定は、経験で積み重ねて行くしか無いのです。
自分で身銭を切って、失敗を重ねて重ねて身に付けていくものでした。
それでどうしても扱い商品の限界が出てきます。
自分で身銭を切ることの可能な範囲が、自ずから当然有るからなのです。
自分で仕入れられる範囲の品物の値打ちは、おおよそ解るように成っても(それでも失敗は多いですが)それ以上のランクの品物については、全く分からない、と言うことに成ります。
例えば極端な例として、1500円の松と3000円の松の違いは直ぐ分かるが、100万円の松と200万円の松の違いは分からない、というような現象が起きます。
何事にも守備範囲と言うものは有るようです。
そんなことで28歳から50代までは、盆栽商売と家業の商売とを掛け持ちで遣っていましたが、父が亡くなってからは自由に仕入れにも行けなくなり、家業の方が主なる仕事と成りました。
しかしわたしは、33歳から蘭の方も基本の0から習ってきていましたから、この方は現在でも続けています。
蘭は盆栽と違いまして、仕入れや売り込みに行かなくても、発送が簡単に出来ますし、電話やパソコンの写真からでも取引ができるからなのです。
先日書いた川柳の 手の職を活かせるほどの・・・ ではないですが、それで助かっています。
さて、松の芽摘みの話ですが、盆栽の先生の最初の話「天狗に成ったらその時で進歩は終わりだ」との言葉に関しまして、それから約50年経った現在でも、天狗に成るどころか、黒松の芽摘み一つにしてもまだ迷いがあります。
黒松の芽摘みは、元気の悪い木から始めますし、その木の中でも元気の悪い芽から先に摘みます。
次の芽のスタートを早くしてやるためです。
しかしその、元気の良し悪しの線引きが、途中で自分の中で分からなくなったりするのです。
「えーとこれは・・元気が良い方か悪い方か・・・、まぁ良いわ、切っちゃえ」
そんなことの繰り返しを50年経っても未だに遣っています。
先生の横で作業してた最初の頃、何度か尋ねていたことが懐かしく思い出されます。
先生は93歳で未だご健在ですが、まさか聞きに行くわけにもいきません。
50年間培った古びた勘を呼び起こして、どうにかやっているのです。



