「サル学の現在」を面白く読んでいます。 京大の伊谷教授が文中に出てくるので懐かしいです。
伊谷教授の「高崎山のサル」は若い頃読んでいまして、当時家の本棚に在るのを高校教師の叔父が見つけ、ずいぶん長い間本棚の前で立ち読みしていましたが、「作家でない人の文も面白いものやなぁ・・」と言ったものでした。
わたしは「そうやろ・・」と言いましたが、~国語の先生ならではの感想やなぁ・・~と、その時何故か上から目線で納得したものでした。
ところが「サル学の現在」の「現在」は、伊谷教授たちの時代に比しての「現在」なのでした。
「サル学・・」の出版は1991年の初版となっていますから、今からすればもう31年前の出版で、サル学自体はそれからまた現代までに長足の進歩をしているのでしょうが、伊谷教授たちのサル学はまた1991年から遡ること20年ほど前の書物だったのです。
「高崎山のサル」は大分市に在る高崎山の猿の、餌付けによる集団また個々の研究の結果が語られていますが、「サル学・・」では、餌付けサルの研究より、自然の下(フィールド)で暮らすサルの研究が主なものになっています。
両者の違いが面白いので書いてみます。
〇 餌付けされたサルの集団ではボスサルと言われる存在が目立つが、野生の集団では、強い優位なサルは居るがボス的行動は然程見られない。
餌を巡る争いもなく、ボス的猿(文中ではアルファメイル)が近くで餌を食べていれば、自然界の場合、隣りに居るサルは他所に行って食べるし、違う餌を食べればよいから争いは起こらない。
従って自然界ではピーナツ・テスト(二匹の猿の中間にピーナツを置いて、どちらが取るか優位性を探る)的な状況は生じない。
〇 平均して穏やかに暮らすことが基本になっている。
〇 群れが移動する時も、ボス的サルの指揮で移動ということは無く、ただその時の流れ的行動で移動している。
〇 ボス的サルが仲間の喧嘩を仲裁することも無い。
〇 ボス的サルは交尾期には他のサルより優位性を発揮する。
等々、自然界のサルと、餌付けされたサルとの違いが書かれていますが、それらを読んでいますと、人間社会との比較のようなものを探りたくなります。
そこでわたしは、自分が人間を見るのに、サル化した視野から見始めた中学生時代のことを考えてみました。
中学へ入りますとA小学校、B小学校、C小学校と言う、今までにお互いが知らなかった小学校の生徒が一同に会しますから、自然発生的に誰が一番強いのかを探る喧嘩が絶えませんでした。(男生徒に限り?)
当時昭和32年頃のことで、戦後12年の頃の空気は、未だ殺伐とした雰囲気が社会のみならず、中学校内にまで漂っていたような時代でした。
わたしは家の隣の同級生が喧嘩に特別強い男生徒でしたから、その生徒の強さの行く末を探りたいという興味もあり、「中学全体がまるで猿山の猿だな・・」との思いで成り行きを見守って?いたのです。
「サル学・・」によりますと、どうやらこれは餌付されたサルの行動域の話となりそうです。
学校という限られた世界の中に幾つかのグループができ、それぞれのボス的存在が争い、より頂点に立つ者は誰だと決めようとする作業ですね。
フィールドでの日本サルには、そこまでのグループ感は無いそうです。
他のグループと遭遇しても、ただそのまま交じり合い餌を探し、そのまま自然にグループ毎に別れて行くようですから、わたしの当時の中学のように、ボス的者同士の睨み合いのようなものは出現しづらいようです。
やはり狭い地域に押し込められる程、上下の力関係は際立つのでしょうか。
まだまだ全体の5分の一程度しか読んでいませんし、これからチンパンジー、ゴリラへと進んで行きますので、記事は複雑になり、ここに感想を書くのも億劫になりそうです。
今後も面白く読んで行けそうですが、ただこの本の出版時期を見れば、もう古い学説と成っている部分も多いものと思われます(特にサルの脳の研究など)。
そんなことも考慮の上、最後まで読んで行きたいと思っています。
