大岡正平さんの小説を読み始めましたが(これも或る文学全集より)、最初の「武蔵野夫人」を途中まで読んだものの興味が湧かず、次の「捉まるまで」という作品からの続き物を読み始めました。
大岡さんの小説は、以前「俘虜記」と「野火」を読んでいますが、「捉まるまで」は存在さえ知りませんでした。
冒頭「私は昭和20年1月25日ミンドロ島南方山中において米軍の俘虜となった」とあります。
それはわたしが生まれる頃のことです。
我が家では父が二度目の兵役から無事帰り、母が大きなお腹を抱えているころ、また無事出産を喜んでいるころ、大岡さんは南方の山の中を彷徨い、マラリアに罹り意識の無いまま米軍に捉まって俘虜となっていたのでした。
わたしの家族はその後すぐに田圃に囲まれた田舎に疎開しており、親類の者達三家族で共同生活をしていたそうですが、その頃のことは母から僅かに聞いた記憶があります。
「わたしが井戸水を沸かさず飲むと、あんたが必ず下痢をした」
「あんたの便は汚いと思ったことはないが、親類の〇〇ちゃんと○○ちゃんのは汚かった」
この○○ちゃん二人は何れも二従兄弟(祖母が姉妹)で、大人になっても付き合いは続いていました。
その後どうした事情か我が家は街中の実家へ戻ったようですが、わたしはほとんど防空壕の中へ入れられていたようです。
わたしが子供時代を通し未だに眩しがりやで、晴れの日の運転にはサングラスが離せないのは、その頃の防空壕生活の後遺症なのではと、少しは真面目に思っているのです。
そんな時代に生まれたわたしですから、生後まだ戦争は7か月ほど続いており、物心ついてから聞く父親の軍隊生活は生々しいものがあったようです。
小学校の低学年まで父とよく一緒に風呂へ入りましたが、父はわたしをタオルで擦りながら、また体を拭きながら軍隊での話を聞かせてくれました。
父は二度とも鹿児島の戦車隊へ配属されていたようで、幸いにも外地の戦場には出かけていません。
それで話の内容は、ほとんど内務班という所での上官から不当な暴力を受けた場面ですとか、戦車の運転中、外でガチャンと小さい音がしたと思ったら角の家が半分無くなっていたとか、戦車をエンストさせるたび、運転席の後ろやや高いところに座った上官から、靴で鉄兜の後部をしたたか蹴られるとか(その勢いで長年の父の車の運転は半クラッチ状態が多いものでした)、また米軍の戦闘機グラマンの攻撃を受けて逃げたことなどばかりでした。
戦地で敵と遭遇し殺したり殺されたりしていない分、子供にも話せる内容が多かったのだろうと思われます。
後年わたしは同級生の話などから、お父さんが戦死している子のことを聞くたび、ウチのお父ちゃんは生きて帰ってきて良かったなぁ・・とつくづく思ったものでした。
年譜によりますと大岡さんは1909年生まれで、わたしの父親より2歳年上のようです。
大岡さんは捕虜生活の後1945年の12月に日本に帰還していますから、わたしが1歳になる直前までのことが書かれているようです。
まだ捕虜生活中の詳しい内容を読んでいますが、一応保証された衣食住に付いて、また月3ドルの給与や一日の労働に対する8ペンスの手当は、当時の飢えた日本人よりは贅沢な生活では・・などと、後ろめたいような面持ちも書かれています。
人間の特殊な環境の中での生活などに興味を持つことが多いわたしですから、第二次大戦中のことが書かれた作品は多く読んで来ましたが、そんな中でも大岡さんの今回の作品は、捉まった時の緊迫した心情と、捕虜生活中の淡々とした心境とが、読む方には対比的に描かれているように感じられ、特に興味を惹かれるものがありました。
年譜を見ていまして面白かったのは、12歳のころ夏目漱石の「こころ」など読んでいるそうですが、作文として「吾輩は犬である」を発表したとあります。
なかなか思い付きそうで思い付かない、わたしなどの好きな発想なのですね・・・。
とても読んでみたい気がします。