わたしには何時の頃からか判りませんが、何となく気に止まっている川柳が幾つか有るのです。
時々思い出しては・・・ふむ・・と思うだけなのですが、頭から去ることは無さそうです。
その川柳とは、一つは
手の職を 生かせるほどの 不仕合わせ
と言うのですが、これを一度だけ聞いたのは多分運転中のラジオだったような気もするのですが、はっきりとはしません。
最初に聞いた時、やはり ふむ うーん ふむ と言うような按配でした。
これはなかなか意味が深いような・・・。 普通、手の職が生かせれば、良かった良かったとなりそうなのですが、不仕合わせとはよく言ったものだな・・。
なるほど手の職が生かせたと言うことは、その前に大望が有ったもののそれには結果的に挫折した過去が有り、仕方なく昔手に付けた技術を生かしてその後細々と糊口を凌いでいる。
そしてまた不仕合わせもどん底までは落ちていない、生かせるほどの、まぁそれほどの不仕合わせと言うことか・・。
これは意外に多くの人に言えることかもしれない。
自分の場合は・・・、考えてみましたが、わたしの若い頃の手の職は飯のタネには繋がらないようですし、もともと大望らしきものは持ってなくて、30歳になる前に親代々の店を継いで手に職を付けましたから。
手の職を 生かせるほどの 仕合わせに
または
手の職を 生かせるほどに ほどほどに と言ったところに成るのでしょうか。
もう一つは
母親は もったいないが 騙し良い
この場合の もったいない は、ご飯を遺したらもったいない、のもったいないではなくて(お百姓さんに対してもったいないなら、この場合にも当てはまりそうですが)、仏像に鳥の糞が落ちて・・・、もったいないことだ、の方ですね。
もったいない存在、と言えば、神々しささえ感じる愛情を受けている、そんな感じでしょうか。
母親と言えば子供にとっては、それはもったいない存在なのですが、ちょっと大袈裟に困った顔をすれば、お金を送ってくれたりする。
この騙し良い、は母の愛を小さく悪用していることなのですが、それを他人が子供に成りすまして、大悪用するのがオレオレ詐欺ですね。
この川柳が出来た頃には、何となく牧歌的な庶民愛の行き来が語られていたように思うのですが、母はまた何時の世でも母のまま、と言うことも同時に感じられますね。
もう一つは
屁をひって 面白くも無し 独り者
これはわたしも若い頃一人生活の間が7年以上有りましたから、良く分かるような気がするのです。
一人生活はまた、独り言も多くなりますね。 もっともわたしの一人時代は、仕事が滅法忙しいばかりでしたから、アパートに帰ってからはほとんど寝るだけで、孤独と言うものは感じる暇も無かったようなことでしたけど。
家族が多くなってくると、放屁すれば周りがいろいろと煩くなりますが、一番嬉しかったのが、大阪に居る女子孫か小学校一年生の頃帰ってきてた時、わたしからつい出てしまい、あっ出ちゃった、と言うとすかさず「生きてる証拠!!」と返されたことです。 それも振り向きもせず、漫画をせっせと描きながら。
その女子孫も今年の四月から大学生です。