長い橘の歴史の中でも117期ほど逆風に遭った年はないだろう。
なんといってもコロナの影響をまともに受けてしまったのだから、悲運の世代と呼ばれている所以です。
キシロスタジアムでのフィールドドリルと唯一のパレード、SKYのビデオコンテスト、そして定期演奏会位しか本番がなかった。(と思っていました)
部内のモチベーションを保つだけでも大変だったと思うが、地元のラジオ、テレビそして全国向けのZOOMでの宝島合同演奏に参加して同じ立場の仲間達へのエールを送り続けた。
通常,部員の生の声を聞くことは無く定期演奏会などでの部長やDMの挨拶から推し量るしか無かった。
しかしこの年は部活の練習禁止という非常事態に幹部が考え出したのが練習日記だった(担当は2年のホームページ係)、4月から12月まで部員たちの生の言葉が並んでいる。恐らく唯一であろうし、コロナでパニックになっていて橘カーテンが開いていたのだろう、チラリと中が・・・・
今となっては何のためにやっていたのだろうか?と思われるコロナ対策を念入りにやっていた様子が窺える。ステイホームの時期は詳しく書かれているが練習が通常のモードになる後半になると殆ど回数も中身も減ってしまっている。練習に時間を取られて「日記」を書く余裕が無くなっていることが窺える。
困難な時も全国の仲間達にTVやラジオ出演してエールを送っています。
定期演奏会の挨拶で部長さんがこみ上げる涙に耐えながら話していたのは「皆が集まれるようになったのは6月になってから、そこから唯一残された定期演奏会だけを目標」として制限された部活動を続けたこと。(この時は定期演奏会しか予定が無かったのでしょう)この話と日記を併せてみると本当に大変な時期をよく乗り切って橘の歴史を繋いでくれたと思います。
加えれば去年のローズでの元部長さんの満面の笑みが印象的でした。
メリディアンマーチングフェスタ ドリル
パレード
最近メリディアンのフルバージョンを見つけた。4校だけの参加だったがよく開催した物だ、少数ながら観客もいる、橘は最後だったが途中(1時間19分頃)パレードに入らずに並んで立っている20数名を発見した。再確認するとドリルは90名位なのにパレードは66名。10月になってもパレードに加われなかった、殆どが1年生だろう。それくらい練習時間に制限があった証でもあるし、パレードが一番難しいということかもしれない。
しかし1年中練習に明け暮れている京都橘の部員達が、この年初めて(創部以来)一人一人が部活の意味を考える時間を持った。このことが翌年からの大きな飛翔に繋がったのだとすれば神様の粋な計らいだったのかもしれない。
ここにもあった、ローズだけでは無い
ピンチはチャンス
ボヨヨン行進曲
