シータヒーリング®の
セミナーで習ったことの
一つにハートソングというのがある。
セミナーでは自分の体に対して行ったんだが、
これを
十津川(川の名前ね)に対してやってみようと、
私の畑用の谷水↓を引いている高台まで移動した。

玉置 仙久は・・・
自・遊・学・生 ラボ
「ざわん」
NPL laboratory
「The One」
で
ガイドしてます
民泊
ざわんはうす
のオーナーでもあります。
さて、
ハートソングをやった。
それは、
2013年のこと。
十津川の上流・・・旭あたりから始めて
段々と下流へと。
すると、声が全く出なくなる場所がある。
・・・
知ってる人は知ってると思うが、
2011年9月に
紀伊半島に台風が接近し、
大きな被害が出た。
那智大社周辺
速玉大社周辺
本宮大社周辺
そして、
玉置神社のある十津川でも。
その時に、
深層崩壊と
いう言葉が広く知られるようになり、
その深層崩壊で何人もの人が亡くなった。
未だに行方不明のままの人がいる。
そのことでなのか・・・
川の何ヶ所も、声が出なくなった。
それでも続けているうちに少しずつ
声が出るようになり、
何らかの変化をもたらしていると実感した。
それを、
十津川と和歌山県の境界まで続けた。
災害はこんな感じだった↓
十津川には、
明治22年の台風で大きな被害を受け、
北海道へ移住した歴史がある。
有名なところでは、
和歌山県の串本町沖合で
トルコ軍艦のエルトゥールル号が
遭難した台風と同じ時。
その時、十津川村では・・・
・・・
明治22年1889年の大水害時点で
十津川は6ヶ村からなっていた
北十津川村、十津川花園村、中十津川村
西十津川村、南十津川村、東十津川村
2403戸12862人いたが
死者168人
負傷者20人
全壊・流出家屋426戸
半壊家屋184戸
水田50%流亡
畑の20%流亡
そこで、
600戸、2489人が移住
明治23年6月十津川村が誕生
・・・
といった歴史がある。
その関連で
スケーターの橋本聖子さんが
十津川の観光大使をしているが、
先祖が十津川村だという。
はっきりと調べてるわけではないが、
玉置浩二さんは、玉置姓から見ると
つながると思うんだが・・・
・・・
また、
さだまさしさんが
十津川の観光大使をしているのにも、
明治22年の大水害が絡んでる。
ま、それはおいおい。