島田くんの家に着くと、妻が言い争っていたのは島田くんのお母さんだった。
「一人で行けるわけないでしょう!だいたい家族の誰かが、サインして
くださいって言われましたから!」
島田くんが入院するというプランに変更はない。しかし、お母さんは
今、仕事の休憩中に抜け出してここにいるにすぎず、病院までは
付き添えない。すると妻が5ヶ月の赤ん坊を抱えて一人で同行することになる。
しかしお母さんは
「孫にも嫁にも、あの病院を見せたくない」
という。ではどうするのか?
「タクシー代を渡して一人で行かせる」
これは驚愕のプランだ。その計画性の是非よりも、このお母さんの
強靭な精神力にまず驚いた。この状態の息子を野に放つとは
崖から獅子を落とす如くだ。しかしこのプランはまるで
ギャンブンルそのものでもある。電球を買いに行ってもタバコとコーヒーを
買ってしまい残高不足で電球代をなくす男。うっかり妻が1万円を渡すと
I tuneカードに変えてしまう男。そのタクシー代もけっこうな確率で
島田くんの物欲を満たしてしまう可能性があった。逃げてしまう
可能性だってある。
言い争う妻とお母さんを尻目に島田くんは意見を述べることもせず
いそいそと入院支度を進めている。
まず決まったことはここに来る時点で仕事を放りだしてしまって
暇といえば暇な僕が同行することになってしまったことだ。
たしかに僕なら病院には無事に連れて行くことができるだろう。
しかし家族でもない僕や、島田くん自身が入院の手続きができるだろうか?
入院の支度といってもサザンのCDやマンガや小説、原稿用紙を
詰め込んでいる、目の前のこの男に今、実務ができるとは思えない。
「たしか、家族は病棟には入らなくても済みますよ」
僕が記憶を辿る。入院時、行くのはまず外来で、その後、通されるのは
診察室だ。そして閉鎖病棟に向かったが、その日は病棟前の
施錠された扉の前で妹を見送った。
つまり僕自身は入院初日に妹が入院する病棟そのものは見ていない。
病棟ごときで何をそんなに、と思うかもしれないが、僕には
お母さんの気持ちが理解出来なくもない。じっさい後で妻もショックを
受けることになる。
しかし何よりも妻は島田くんの入院に同行することを強く望んでいた。
結局、万が一病棟に入ることがあれば、それは僕が請け負うことで
お母さんに納得してもらう。
妻とお母さんが言い争いしている間、ずっと島田くんは入院支度を
している。いくらなんでも長くないか?
「変なTシャツを着ていると変な奴が話しかけて来るから
まともなTシャツ選びも大事なんだ」
そういって彼が選んだTシャツはイギーポップが上半身裸で髪を振り乱しながら
絶叫する姿がプリントされたものや「涅槃」と書かれたニルヴァーナの
まがい物っぽいものだ。
まともな人間なら風変わりなTシャツにじゅうぶん見える。