病院は一応、鉄筋の柵で囲われ施錠ができる門があったが実際には
施錠はされていなかった。門衛もいたがどことなくやる気を感じない。
僕がそう見えるだけかもしれない。よく日本でも街角でインド料理の
チラシを配るインド人を見かけるが、街でチラシ配りをする人種の中で
もっともやる気を感じないのがインド人だ。
「ヨロシッシュー。オネガイシマッシュー。」
小声で片言の日本語がよく聞こえない。僕が最も受け取らないチラシだ。
病室に入るまで妹は何の抵抗も示さなかったが、医師と看護師の女性が
入ってくると例のごとく口撃を始める。
「この男が病人なのぉぉぉぉぉ!この男が私を病人にしようとしているのよ!」
医師も無表情ともいえる笑顔を浮かべ相手にしない。看護師が注射器を
用意する。医師は妹ではなく僕とシンさんに質問する。
「彼女は薬物とかはやってませんか?」
シンさんが僕に通訳したが答えたのは妹だ。
「なによぉぉぉぉ!犯罪者だって言うのぉぉぉぉぉ!?
何なら調べてみなさいよぉぉぉぉ!何も出て来なかったら
訴えってやるからぁぁぁぁぁ!」
そう言って妹は服を脱ごうとする。僕と山田さんが懸命に止める。
薬物の可能性は薄いと僕は思っていた。医師にそう答えると
医師と看護師は注射の準備を進める。すると…
「私は妊娠しています!その薬はなんですか?お腹の子に影響しませんか?」
ウソだとは思うけれども、本当だったときの僕の責任の大きさが恐くて
両親に電話でお伺いを立てる。
「構わない。もし妊娠していても中絶させる。」
即答だった。冷静であればひどい話だと捉える人もいるかもしれないが
これが単なる妨害工作だったら一向に事が進まない。そして家族の誰しもが
冷静ではいられなかった。実際彼女は妊娠なんてしていなかった。
「私はね、実は末期の子宮がんなの!余命が短いの!だから好きにさせて!」
本当に彼女のでまかせは酷い。末期の子宮がんで妊娠していると主張する妹。
元々、僕以外のその場にいた人は誰もだまされもしなかったが、今回は僕も
嘘だという結論に疑いを挟まなかった。医師と看護師が注射を打つ。
また妹が歌い出す。例のAmazing Graceだ。
僕にとって世の中で一番嫌いな歌。