今度は僕が一等書記官の山田さんを別室へと誘う。
「これ以上の説得は無理だと思います。かといって、このまま
返す訳にもいきません。インドの病院を紹介して頂けませんか?」
インドに来る前から可能性は考えていた。だから事前に大使館サイドにも
インドに日本人がかかる、そういう病院があるかは問い合わせしていた。
御用達の信頼できる精神病院はあるのだという。しかし、これは
僕にとっても相当、勇気がいった。日本の精神病院でも抵抗が
ない訳ではない。それがインドではなおさらだ。信頼と言っても
どこまでか?
「本当にいいんですか?例えば明日、もう一度説得してみる、とか?」
「明日、彼女と約束して、必ず来る保証がありますか?」
僕の目にMissingのポスターが目に入る。
「僕が日本に帰ったあと、このまま妹を野放しにして
大使館の方で彼女の身の保証をして頂けるんでしょうか?」
当然、そんなこと出来る訳がない。
「さきほど両親に許可をとりました。家族の総意です。妹と我々家族と
どちらに整合性があるか、判断してください。」
山田さんはインドの精神病院に連絡をとり、救急車の手配をする。
音を立てずに近づくように、と重ね重ね申し入れ、暴れる可能性に
ついても伝えてもらう。病院は看護師を含め男女6人で来てくれるという。
山田さんが大使館付きの医務官を呼ぶ。僕はその医務官に一枚の紙を渡す。
これは僕が日本の心療内科クリニックで村岡先生から、もしインドで
入院する場合、どんな薬を使えばいいか?をあらかじめ
聞いてきたメモだ。そこには「リーマスやリスパダール」と書かれていた。
それを医務官は専門の辞書で本当にその薬名で海外でも通用するのか?
薬があるのか?海外向けの言語ではどう言うのか?確認する。
救急車が到着するのに40分はかかったと思う。その間、妹とハンダを
除く全てのスタッフに、ひそひそと伝言ゲームのように現状が伝わっていく。
救急車が着いたと連絡が入る。山田さんは大使館の敷地内は困るというので
門前で待機してもらう。
「今日はもう遅いから、一旦、休憩を入れよう。また明日会おう」
随分チープな申し出だと思ったが、他に思い浮かぶ良い言い訳がない。
しかし妹は簡単に同意した。全員で建物の外に出る。大使館を囲む塀は高く
門外に出るまでは救急車の存在に気づかれることはない。
島田くんが言っていた「トラウマ」になる時間が刻一刻と近づいている。
大使館のある一帯はデリーの喧噪とは無縁で静かだった。とても。
門の扉が開く。
救急車が僕の目にも入ってくる。
6人のインド人が待ち構えている。
妹が僕を睨めつけ叫ぶ。
「おまえぇぇぇぇぇぇぇ!!」