妹は僕がインドに来ていることを知らなかったが驚きもせず、

そして自分が入った部屋に兄や大使館員以外のインド人がいることにも

平然としていた。それどころか僕には不気味に見えるほどの笑顔を浮かべ

彼らに流暢な英語で挨拶しながらビジネスカードを配り始めた。

ひとりづつ丁寧にカードを配って握手している。不気味で正気か?と

思うのは、そのインド人への挨拶の儀式の最後に僕も含まれていた。

 

「ナイス トゥ ミー チュー! アイム…」

 

恐い恐い恐い。日本人の実の兄に「初めまして」って日本人の妹が

英語で挨拶している。握手まで求められたが、手を出す気にはなれず

拒否したような形に妹の目に少し敵意が走る。ビジネスカードの

肩書きは「プレジデント」。

多分「社長」といったニュアンスだろう。しかし社名が…ない。

つまり、どこの会社かは分からないけど、社長ってことだ。

僕の陣営のインド人たちがまた困ったような顔で僕を一斉に

見つめている。いや、僕だって困っている。

 

「ハジメマシテ、オニーサン。ワタシガ、ハンダサトシデス」

 

スーツ姿で背が低く小太りの東洋系の男が片言で言う。

娘を嫁にやることを逡巡する父親の気持ちが初めて分かる。

お前に「お兄さん」と言われる筋合いはない。

しかしインド人なのにハンダ、は間違いなく存在した。今、僕が

この目で見ている。妹との対決は冒頭から驚きが多すぎて、いや

驚くことしかなく、逆に顔が能面のようになっている。

 

「こいつとの結婚は現時点では反対だ。金も渡すことはできない。

 まず君は僕と日本に帰って両親と会うべきだ。これが両親の意向だ」

 

端的に要点だけをまず妹に伝える。

 

「なによぉぉぉぉ!お兄ちゃん!だましたのねぇぇぇぇx!」

 

どうも、妹は兄の存在意義について、いま気がついたらしい。

ついでに目の前にいるのが敵対する兄だということもきっと

いま気がついた。

ついさきほどまで、笑顔で英語で挨拶した兄に対して

瞬時に目に涙を浮かべ妹が絶叫した。大使館員が慌てて制止する。

 

「落ち着きましょう!落ち着いて話し合いましょう!」

「これが!これが!落ち着いていられますか!?この男は!この男は!

 この男はぁぁぁぁぁぁ!私を貶めようとしているんですよぉぉぉぉぉ!」

 

妹から見たらそうであろう。僕は妹の「プレジデント」の称号を剥奪し

ハンダサトシとの結婚を阻止しにきたのだ。しかしそう見られることは

覚悟の上だ。僕はここで妹と対峙するために来ている。

 

このとき予想もしなかったが、これより6時間にも及ぶ僕と妹の

泥沼の戦いの火ぶたが切って落とされた。