電話の主は僕がインドに行くことを知らない。大使館には伝えたが
口止めした。僕が出国する日に一等書記官の山田さんに「お兄さんが
大使館宛に送金してきたから大使館まで取りに来るように」と
伝えてもらう手はずだ。兄が直接来ると知れば、何を考え出すか分からない。
僕は実家の電話をスピーカーフォンにし、息を潜めて妹の肉声を聞く。しかし
それは思わず声が出そうになるほど、凄まじい剣幕だった。
「あんたはぁ!なぜ私の結婚式に来ようとしないぃぃぃぃ!!いい?ベイビィ!
私のベイビィが言ってるよ!あんたのお母さんはひどい人だね!分かる?
分かる?ベイビィ!」
英語っぽいニュアンスを醸し出す矢沢永吉風の冗談にしか思えないが彼女は
確かにベイビィって繰り返し口にする。
「ヘイ!聞いていますかぁぁぁぁぁぁ!!あなたのおばあちゃんも言っている!
ヘイ!ベイビィ!ごめんね!ごめんね!ごめんね!ごめんね!って。
あなた恥ずかしくないですかぁぁぁぁぁ!?」
Don't worry baby ♪ 忘れちまえよ 罪作りな♫ そうあんなやつ♩
僕の頭の中を矢沢永吉の『hold on baby」がぐるぐるリフレインする。
聞いている僕がかなり恥ずかしいが、話している本人が羞恥心を
感じていないところがまた恐ろしい。
「私はあなたたちの圧力には絶対に絶対に絶対に負けないんだぁぁぁぁ!
私はねベイビィ、スズキと幸せになるんだぁぁぁぁ!
もう、もう、永遠に永遠に!ベイビィ、さようならだぁぁぁぁぁ!」
こいつは何度、自ら人と縁を切っておきながら、身勝手にも復活させてきただろう。
声を聞かないと不安になるが声を聞くとはらわたが煮えくり返ると
いう母の気持ちがよく分かる。
ああ、僕はこんなベイベーと対峙しなければならないのか?
出会った瞬間に勝てる気がしないファイナルファンタジーのボスキャラみたいだ。
もうインドに行く前から帰りたい。