南米で生まれ札幌すすきのへ スカーフェイスぶんた 衝撃の実話!体に刻まれた誓いの刺青(タトゥー)公開! -7ページ目

南米で生まれ札幌すすきのへ スカーフェイスぶんた 衝撃の実話!体に刻まれた誓いの刺青(タトゥー)公開!

自分の経験をここに書き綴る。ぶんた、現在24歳。札幌在住。南米某国で生まれ5歳の頃、隣の部屋で父親が自殺、そして日本へ。14歳で家出、ホームレスから自分の金で高校へ。18歳で全身にタトゥー。20歳で、貿易会社の社長に。波乱万丈の視線から語る、人生訓、都市伝説、風俗

4月にオレと同じ年で24歳のフィリピン人がの知り合いが死んだ。そのことは何度も書いてきたが今ここにことの詳しい経緯を書いていきたいと思う。
半田屋という大衆食堂の前で突然俺に話しかけてきたのがことの始まりだ。その次の日にやりマンの女友達のAを紹介して一目ぼれ。Aはお世辞にも美人とは言えないがどことなくタイ人(名倉)顔なのでフィリピンの人にとっては美人なのだろうとオレは勝手に解釈した。
それから数ヵ月後、フィリピン人はマンションの三階から飛び降りて両足骨折。病院でセックスしたとわけのわからない自慢をこのカップルはオレにかましてきやがった。
オレも、オレの友人達もこのカップルの身勝手な行動に腹が立っていた。だからオレはフィリピン人と二人で会う機会があったのでAがやりマンだってことを暴露してやった。真実と嘘を織り交ぜてね。「オレの友達であいつとやってないやつなんていないよ、オレも含めてね。」とオレは高笑いしながらそういったんだ。
フィリピン人は精神の病を抱えていたんだけど、そのことでもう病んじゃって。安定剤やミン剤、酒をがぶ飲みしてたね。オレはその後帰宅して、Aから電話が来たんだ。第一声が「あんたほんとまじ最低だわ」だった。
オレは「お前はそう言うがお前がいないときにフィリピン人とキャバクラに行ったぜ、その後やつはソープにも行ってたよ」とAに言った。
今までは恋のキューピットとして丁寧に扱われておれだけど、この時からオレは悪魔扱いだよ。まぁ当然だけど。オレもこのカップルもお互い弱みがあったんだ。だからオレは心の底から死んでくれないかなぁと思っていた。そしたらその数週間後、Aから電話が来て「K、死んだ」と涙声で今年一番の名言。オレは思わずふき出しちゃったけどその後に例の「変わりの男いるのか?」に繋がるんだ。

オレの友人のYは「フィリピン人が死んだのは多分お前のせいだよ」とオレに言ってきた。確かにフィリピン人が体調を崩した時期とオレが暴走した時期が重なるんだ。
オレはAに電話で「葬式に来る?」と聞かれたが「行くわけないだろ!」とつっぱねた。
だから事の真相を知るのはこのAだけなんだけどかたくなに口を割らないんだ。
オレにAが説明した内容は精神病院に入院が決まって最後に「幸せになってね」って言われて入院初日に原因不明で死んだと言ってきたが妄想だろう。
そんなドラマみたいなこと現実で起こるわけないし、ショックで嘘を作り上げたんだとオレは思う。
新聞の死亡欄にもフィリピン人の名前が載ってないことを考えると死んだこと事態が嘘かとオレはそう推理したが、死んだことは本当らしい。
たぶんAと一緒に酒と安定剤の過剰摂取で死んでしまったんだと思う。酒はミン剤の効果を二倍以上に高める働きがあるから自殺する時はミン剤を水ではなく酒で飲むことは常識なんだ。
かくいう俺も今からかなり昔、薬物と精神の病には苦しめられた一人だ。
オレの場合、もう考えることが出来ないほどひどい状況だった。
母親に精神病院に入れられたのは15歳の頃だ。オレは入院する前の日まで3日間眠れず、警戒心で頭がおかしくなりそうだった。カーテンは閉め切り携帯は何度も初期化。家の中にいるのに会話が出来ず、メールでお話。みんながオレを笑ってるというパラノイアに襲われた俺は持ってる服を全部始末して無地の服しか着用しなくなっちまったんだ。その三日間でオレが体にぶち込んだのは、脱法ハーブ、アルコール、ピギマ、安定剤にミン剤、ステロイド、最後に鼻からコデインを吸い込む始末。
病院に入院したおかげで俺は本来の自分を取り戻すことが出来て日々前進してるけど、身近な人の死亡事故を聞くと本当に恐ろしいよな。
今はタバコも吸わないしアルコールだけだ。アルコールもワイルドターキーというバーボンを一日一本とたしなむ程度に飲んでいる。人に迷惑や心配をかけたくないし何よりもう入院はしたくないからね。