禁煙セラピーにも書いてあったが、


”そう、あなたは何もしなくていいんです!”


ってやつ。


何もしなくていい、ってすげー楽だと思う。
というのは見かけ倒し。
頭でわかってても体が苦しい。


所謂ニコチン中毒ってやつ。


と、タバコの話がしたいんじゃない。
たまたま例にあげただけ。


そう、何もしない事は苦しいんだ。





これまでの自分を振り返る。


確かにおれはズボラでめんどくさがり。
でも、間違いないのは、これまで苦しい局面に立たされたとき、
必ず自分はアクションを起こしてきている。
なにか起こさなきゃ、という意識的な思考からではなく、
あくまで衝動的、本能的、無意識で、行動をしてきたように感じる。
世間一般、普遍的な苦しい局面ではない。
自分自身が苦しい局面だ。


自分の中には、
そういうプログラムが組み込まれているみたいだ。
後先、面倒なことになるならないの如何を問わず、
とっさに、自分が苦しかったらアクションを起こす。
馬鹿なんだよな、そこんとこ特に。


人はよく、
おまえは考えすぎだ、とおれに言う。
これに対する自己解釈はこうだ。


”考える必要の無いところを「考えすぎ」”


深く「考えすぎ」と言われた事もあるが、
その言葉はあてはまってないように思う。
深く考えるだけの頭が足りないからだ。
深層まで考えすぎという意味合いでのそれではなく
深く=考える必要の無いところ、という意なのであればうなずける。
今の自分が常人より深いレベルに思考が回る人間であるように思えない。
将棋は苦手だ。


だからやっぱり、
”考える必要の無いところを「考えすぎ」”人間だろう。


それはともかく、
衝動的に行動してしまうことは裏を返せば
我慢ができないという事、だと自分は捉える。


おれにとって行動することは、自己保身、それ以外の何者でもない。
行動、という言葉に悪いイメージを持つ人は少ない。
いい結果をもたらすための手っ取り早い方法、それが行動。
それは間違いではないことだと思う。


ただ、苦しいとき、おれ自身が取る”行動すること”というのは
それは、世間で言うところの言い訳や言い逃れ、強いては、逃げ出す事と同じような類ではないか。
そんな風に今、リアルタイムで考えている。
全ては自分を守りたいから。
きっとこれまで動いてきたことの理由は、保身、ただこれだけのためだ。


苦しいときのおれの行動には、わがまま、という言葉が付きまとってる。
たまには我慢しろ、我慢しろといつも言い聞かせる。
でも、できない。





今、まさにそんな場面がきている。
これまで幾たびと来た場面。


動く事の容易さ、動かない事の苦しさ。


何もするな、我慢しろ、行動するな。
そんな言葉が頭の中をめぐる。


逃げちゃダメなのは今なんだ、
なぁ、シンジくん。