(1)問題

 

以下の文章は,前田健太郎『女性のいない民主主義』(岩波新書,2019年)から一部を抜粋し,出題用に編集を加えたものである。この文章を読んで,後の問いに答えなさい。

 

①  1917年4月2日,アメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンは,連邦議会の上下両院の合同会議に出席していた。目的は,第一次世界大戦に協商国側で参戦するべく,ドイツヘの宣戦布告を議会に提案するためである。

 

②  それまで,アメリカは孤立主義の国であった。なぜ,アメリカの兵士たちがヨーロッパの戦争で血を流さなければならないのか。その理由を説明する上で,ウィルソンは次のように論じた。アメリカは,民主主義の国であり,ドイツのような権威主義体制とは共存することができない。だから,武力を行使してでも,その脅威を取り除き,皇帝ウィルヘルム二世の支配からドイツ国民を解放しなければならない。「世界は,民主主義にとって安全にならなければならない」。4月6日,上下両院の決議を受けて,アメリカはドイツに宣戦を布告した。翌1918年春,ヨーロッパ西部戦線にアメリカ軍が到着すると,戦局は一気に協商国側に有利に傾き,11月にはドイツの降伏で戦争が終わった。

 

③  この連邦議会でのウィルソンのスピーチは,彼の理想主義者としての側面を描くものとして広く知られてきた。だが,ウィルソンのスピーチに登場する「民主主義」という言葉が何を意味するのかを考えてみると,あることに気づく。それは,ウィルソンの言う民主主義に,女性が含まれていないということである。

 

④  1917年の時点で,アメリカではいまだ連邦レベルの女性参政権が導入されていなかった。この時代,一部の州では女性参政権が導入され,全米女性参政権協会(NAWSA)を中心とする女性参政権獲得運動がかつてない盛り上がりを見せていたものの,ウィルソンは与党民主党内の保守派の反発を考慮して,連邦レベルでの女性参政権の導入に慎重な姿勢を崩さなかった。彼は,第一次世界大戦に参戦するという重要な条件を控える中で,議会と事を構えたくはなかったのである。

 

⑤  この局面で,ウィルソンの態度に業を煮やしたフェミニストたちが行動に打って出た。アリス・ポールの率いる全米女性党(NWDが,「サイレント・センティネル」と呼ばれる活動家グループを組織し,1917年1月からホワイトハウスの正面玄関で抗議活動を開始したのである。活動家たちは様々な旗を掲げてウィルソンに女性参政権の導入を訴えたが,アメリカがドイツに宣戦布告すると,次のようなメッセージが書かれた旗も登場した。

 

⑥  ウィルソン皇帝陛下。自己統治の権利を持たない,哀れなドイツ国民に示された哀心を,もう忘れてしまわれたのですか。アメリカの2000万人の女性たちは,いまだに自己統治の権利を持っておりません。

 

⑦  抗議活動が続く中,徐々に活動家たちが逮捕されるようになり,10月にはポールも逮捕された。ウィルソンが従来の立場を改め,女性参政権の導入に向けて連邦議会の説得に踏み切ったのは,投獄されたポールがハンガー・ストライキを開始し,医師団による強制摂食が行われたことにショックを受けた結果であると言われている。議会下院は1918年には女性参政権を認める憲法修正案を可決したが,上院が説得に応じたのは戦後の1919年であった。合衆国憲法修正第19条が全州の四分の三に当たる36州の批准に基づいて発効し,女性参政権が正式に導入されるのは,1920年である。

 

⑧  ウィルソンに限らず,多くの人は,女性参政権が認められる以前から,アメリカを民主主義の国と呼んできた。だが,フェミニストたちの批判に向き合うならば,この言葉遣いには注意が必要だろう。なぜ,女性が排除された政治体制が,民主主義と呼ばれてきたのか。より男女平等な政治体制としての民主主義は,いかなる体制なのか。ここでは,こうした問題について考えていく。

 

⑨  ウィルソンがアメリカの民主主義をドイツの権威主義と対比していることは,民主主義という言葉の意味を考える上で,興味深い論点を提起している。というのも,当時のドイツの政治体制は,いくつかの点でアメリカとの共通点を持っていたからである。

 

⑩  まず,アメリカでは19世紀前半の時点で白人男性による普通選挙が行われていたが,ドイツ帝国も1871年の成立当初から,下院に当たる帝国議会には男子普通選挙を導入しており,人種に基づいて選挙権を制限していたアメリカよりも有権者の範囲は広かった。

 

⑪  また,アメリカは早くから複数政党制が発達し,南北戦争後には共和党と民主党による二大政党制が確立したが,複数政党制はドイツでも発達しており,反体制派であるはずのドイツ社会民主党は1912年の帝国議会選挙で約35%の得票率で第一党となっていた。

 

⑫  それにもかかわらず,ウィルソンにとって,アメリカは民主主義国であり,ドイツがそうではなかったのはなぜなのか。この問題に対する回答こそが,現代の政治学における民主主義の概念の出発点になっていると言っていい。それは,次のような考え方である。

 

【民主主義の最小定義】

⑬  政治指導者がどのように選抜されるかを定める政治制度を,政治体制と呼ぶ。民主主義とは,政治指導者が競争的な選挙を通じて選ばれる政治体制を指す。これに対して,競争的な選挙が行われない国を,権威主義体制あるいは独裁体制と呼ぶ。

 

⑭  この民主主義の定義は,ヨーゼフ・シュンペーターの『資本主義・社会主義・民主主義』(1942年)において定式化され,政治学に絶大な影響を及ぼしてきた。民主主義の必要最小限の条件を示しているという意味で,この定義は「民主主義の最小定義」と呼ばれることもある。権力者が,選挙に敗北して退場する可能性があるかどうか。ある国が民主主義国であるかを判定する基準は,それだけである。選挙を通じた政権交代を可能にするような,結社の自由や言論の自由が保障されていれば,その国は民主主義国として分類される。

 

⑮  シュンペーターの議論は,民主主義体制を権威主義体制から区別する上で,非常に使い勝手が良い。例えば,日本の国政選挙ではほとんど常に自民党が勝つものの,1993年や2009年の総選挙に見られるように,野党が政権を奪取することもある。台湾では国民党と民進党の間で政権交代が繰り返されており,韓国でも保守系と進歩系の政党の間で周期的に政権交代が起きている。これに対して,中国の中国共産党やシンガポールの人民行動党は,政権を掌握して以来,一度も野党に転落したことがない。この区別に従えば,日本,台湾,韓国は民主主義体制であり,中国とシンガポールは権威主義体制である。

 

⑯  この考え方を頭に入れれば,ウィルソンのスピーチの意味が分かる。アメリカでは民主党と共和党のどちらの政党の候補者も大統領に選出されうるのに対して,ドイツでは帝国議会選挙の結果がどうなっても,皇帝や宰相が代わるわけではない。それが,アメリカを民主主義国,ドイツを権威主義国に分類する基準となる。逆に言えば,この民主主義の定義に従う限り,女性が参政権を認められているかどうかは,その国の政治体制を分類する上では関係がない。だからこそ,ウィルソンはフェミニストたちの非難を浴びることになったのである。

 

⑰  より広い角度から見れば,このシュンペーターの議論は,民主主義という言葉の意味を大きく転換するものであった。元々,古代ギリシャで生まれた民主主義という言葉は,「人民の支配」を意味していた。そして,その後の政治学の歴史において,一人の君主が統治する王政や,少数のエリートが支配する貴族政などの概念と対比して用いられてきた。これに対して,シュンペーターの民主主義の定義には,誰が支配者であるのかを示す表現は含まれていない。

 

⑱  ここには,現代の民主主義の仕組みに対する冷徹な見方が表れているといえよう。その民主主義は,古代ギリシャの都市国家が採用していたような直接民主主義ではなく,代議制民主主義である。有権者は,国会議員や大統領を選ぶ時以外に,自らの意見を表明し,意思決定に関わる機会は基本的にない。実際に支配をしているのは,政治家であって,市民ではない。ウィルソンの時代には世論調査が技術的に確立しておらず,選挙の時点を除けば,政治家が自らの政策について有権者の賛否を具体的な数字で知る方法が存在しなかった。つまり,一見すると似ているように見える直接民主主義と代議制民主主義は,実は全く異なる作動原理に基づいている。アメリカやイギリスといった「民主主義国」にシュンペーターが見出したのは,「人民の支配」ではなく,選挙を通じた「エリートの競争」だったのである。

 

⑲  しかし,ジェンダーの視点から見れば,疑問も浮かぶ。人口の半分に参政権を認めない国の政治体制が,なぜ民主主義と呼ぶに値するのか。シュンペーターは,民主主義の国と呼ばれるアメリカで行われている政治の仕組みに合わせて,民主主義を定義し直しているにすぎないのではないか。それは,黒を白と言い換えているようなものだ。むしろ,アメリカは民主主義国と呼ぶには値しないと言い切ってしまった方が,民主主義を定義する上では価値があるのではないか。

 

⑳  シュンペーターの民主主義概念に対する批判を真剣に受け止めるのであれば,議論のアプローチを変える必要があろう。つまり,アメリカの体制を民主主義として定義した上で,そこから民主主義の特徴を抽出するのではなく,民主主義を先に定義し、その定義に基づいてアメリカの政治体制が民主的であるかどうかを判断するのである。このようなアプローチを取るものとしては,次の学説が名高い。

 

【ポリアーキー】

21  民主主義とは,市民の意見が平等に政策に反映される政治体制を指す。今日の世界における様々な政治体制の中で,相対的に民主主義体制に近いものを,ポリアーキー(polyarchy)と呼ぶ。ポリアーキーは,普通選挙権を付与する「参加」と,複数政党による競争的な選挙を認める「異議中し立て」という二つの要素から構成されている。異議中し立ての機会はあっても幅広い参加を認めない体制を,競争的寡頭制と呼ぶ。逆に,参加を認めても異議申し立ての機会を欠く政治体制を,包括的抑圧体制と呼ぶ。

 

22  ロバー卜・ダールの『ポリアーキー』(1971年)は,おおむねこのように語る。ポリアーキーとは,「複数の支配」を意味する造語であり,民主主義とは区別された概念である。シュンペーターの方法と比べると,ダールの方法は概念と現実の関係が逆になっていることが分かるだろう。ここでは,民主主義がアメリカやイギリスの政治体制とは独立に定義されている。そして,シュンペーターとは異なり,①普通選挙が民主主義の構成要素となっている。

 

23  ポリアーキーが二つの要素から構成される概念である以上,そこに向かう道も二つある。

 

24  第一は,競争的寡頭制の下で選挙権が拡大される「包括化」である。イギリスでは,1832年の第一回選挙法改正によって都市中産階級の男性に選挙権が拡大されたのを皮切りに,1918年まで段階的に財産制限が撤廃されていった。そして,1918年には女性参政権も部分的に解禁され,1928年には全成人に選挙権が与えられた。アメリカでは,建国後の早い時期から白人男性に普通選挙権が与えられており,1920年に女性参政権が,1960年代にはアフリカ系市民の選挙権が認められた。

 

25  第二は,包括的抑圧体制の下で,政党間競争が許容される「自由化」である。旧ソ連を中心とする冷戦下の共産主義圏や,軍事独裁体制下のラテンアメリカ諸国・アジア・アフリカの旧植民地諸国など,先に普通選挙権を導入していた国々は,1980年代から政党間競争を自由化していった。

26  日本は,包括化と自由化が同時に進行した事例に当たる。すなわち,1890年の帝国議会

開設時点では直接国税15円以上を納めた満25歳以上の男性に選挙権が与えられていたが,徐々に納税要件が撤廃され,1925年には満25歳以上の男性に普通選挙権が与えられた。他方,1885年に創設された内閣制度の下で,当初は帝国議会選挙の結果ではなく元老の協議に従って天皇が内閣総理大臣を任命していたのが,1918年には立憲政友会の原敬首相の下で初の本格的な政党内閣が成立した。1924年の護憲三派内閣からは,衆議院第一党の党首を首相に任命し、その政権が倒れた後には野党第一党に政権を交代する

「憲政の常道」が慣行として成立する。この大正デモクラシーの時代は1930年代には軍国主義体制の成立によって終焉するものの,1945年の敗戦を契機に政党間競争が自由化され,女性参政権が認められた。この段階で,日本はポリアーキーとなった。

 

27  ダールの政治体制の分類は,シュンペーターの分類に比べれば,女性参政権をポリアーキーの最低条件とする点で,相対的にはジェンダーの視点を有している。ポリアーキーが民主主義そのものではないのだとすれば,1917年のアメリカのような女性参政権を欠く体制は,ポリアーキーにすら達していない以上,なおさら民主主義と呼ぶには値しないであろう。それでは,ポリアーキーは,どれほど民主的なのだろうか。どれほど平等に,男性と女性の意見を政策に反映するのだろうか。この問題について考えると,新たな問いに突き当たる。

 

28  ダールの時代,ポリアーキーの下で行われる選挙には,ある顕著な特色があった。その当選者は,ほとんどが男性だったのである。表1には,ダールの『ポリアーキー』で取り上げられている国の中から代表的なポリアーキーと包括的抑圧体制を選び出し,それらの国における女性議員の割合を示している。具体的には,普通選挙権を導入している国の中で,異議申し立ての機会が最大の国々と,最小の国々を選び,1971年時点での議会下院における女性議員の割合を集計した。

 

29表1 ポリアーキーと包括的抑圧体制における女性議員の割合(1971年)

 

 

30  この表を見ると,ポリアーキーにおける女性議員の割合は,包括的抑圧体制における女性議員の割合に比べて,全般的に低い。何の説明も受けずにこの表を見た人は,ポリアーキーは「男性政治家が支配する政治体制」であると感じてしまっても不思議ではない。

 

31  つまり,ポリアーキーによって実現されるのは,せいぜい男性にとっての政治的平等である。ところが,『ポリアーキー』において,この問題への言及は全く行われていない。その理由としては,ダールの時代には今日のように各国の女性議員の割合を一覧できる資料が存在しなかったという事情もあるだろう。だが,権力を握るのが男性であることは,少なくとも当時の男性にとっては当たり前だったということもあるのかもしれない。

 

32  ここに,ダールのポリアーキー概念が,シュンペーターの民主主義の最小定義と共有する特徴が見えてくる。その特徴とは,政治指導者の答責性(accountability)を重視していることにある。答責性とは,政治指導者の失政の責任を問えることを意味する。独裁体制の下では,選挙を通じて指導者が責任を問われることがないため,望ましくない政策を選択することに対する歯止めが弱い。競争的な選挙には,権力の暴走を抑制する機能が期待されているのである。

 

33  一方で,ポリアーキーという概念は,シュンペーターの民主主義の最小定義と同じく,非常に重要な要素を欠いている。それは,代表(representation)という要素である。今日の民主主義が代議制民主主義(representative democracy)と呼ばれていることは、政治家が有権者を何らかの意味で代表していることを連想させる。ところが興味深いことに,この言葉は,シュンペーターの民主主義の定義にも,ダールのポリアーキーの定義にも含まれていない。その理由を考えるには,代表という言葉の意味に留意しておく必要がある。

 

34  例えば②「政治家が自分の支持者を代表している」という文の意味を考えてみよう。「政治家が,自身に投票した有権者の意見に従って立法活動を行っている」という意味ではないだろうか。まず思い浮かぶのは,この意味で有権者を代表する場合,左派的な有権者の多い選挙区から選出された議員は左派的な政策を掲げ,右派的な有権者の多い選挙区から選出された議員は右派的な政策を掲げるだろう。この考え方を議会全体に当てはめれば,有権者の間の意見の分布が,国会議員の間の意見の分布と重なっているかどうかが政治体制の特徴を判断する上での重要な基準となるに違いない。このような意味での代表を,一般に実質的代表(substantive representation)と呼ぶ。

 

35  シュンペーターの民主主義の概念の特徴は,こうした形での実質的代表が不可能であるという認識の下,代表という考え方そのものを端的に民主主義の定義から取り除いたことにある。そして,その態度は,ダールのポリアーキー概念にも継承されている。ポリアーキーがポリアーキーである所以は,あくまで普通選挙が競争的に行われていることにある。仮に有権者の意見が立法に反映されるとしても,そのことはポリアーキーの帰結であって,定義そのものではない。

 

36  以上のような実質的代表の考え方に対して,「その政治家が,自らの支持者の社会的な属性と同じ属性を持っている」という意味での代表の概念がある。政治家が,この意味で有権者を代表するのであれば,経営者が経営者を,労働者が労働者を代表し,民族的多数派が民族的多数派を,民族的少数派が民族的少数派を代表する。そして男性が男性を,女性が女性を代表するであろう。代表性の確保された議会とは,議会の構成が,階級,ジェンダー,民族などの要素に照らして,社会の人口構成がきちんと反映されている議会である。このような意味での代表を,描写的代表(descriptive representation)と呼ぶ。

 

37  この描写的代表も,シュンペーターやダールの議論においては,重視されてこなかった。一つには,政治家は何らかの意味で有権者に比べて高い能力を期待される以上,選挙による指導者の選抜を,描写的代表と両立させることには限界がある。また,競争的な選挙が行われるということ自体が,描写的代表の確保とは必ずしも両立しない。こうした事情もあってか,このような代表の概念をめぐる対立は,従来の多くの政治学の教科書には記されてこなかった。

 

38  だが,ジェンダーの視点から見た場合,描写的代表が確保されることは政治において決定的に重要な役割を果たす。男性ばかりが議席を占める議会は,女性を代表することはできない。女性を適切に代表するには,一定以上の数の女性議員が必要であろう。アン・フィリップスは『存在の政治』(1995年)の中で,こうした考え方に基づく政治を,存在の政治(politics of presence)と呼んでいる。有権者が自分の好む公約を掲げる政党に票を投じ,政党がその公約に従って政策を実行するという意味での理念の政治(politics of ideas)では,不十分なのである。

 

39  なぜ,存在の政治が必要なのか。それは,描写的代表なくして,実質的代表を確保することができないからである。第一に,選挙戦において政党間で争点となるのは,様々な政策争点の中のごく一部にすぎない。それ以外の争点に関する意思決定については,政治家が幅広い裁量を行使することになる。その場合,女性にとっては,同じ経験を共有する女性政治家の方が,男性政治家に比べて,自分の意見をよりよく反映すると想定できる。

 

40  第二に,それまで争点化していない問題を争点化できるのも,女性の経験を共有する女性政治家が存在するからこそである。女性の多くが関心を持つ問題は,男性が関心を持ちやすい争点の陰に隠れて,長らく政治の争点から外されてきた。従来は隠れていた争点が浮上することで,女性の意見も,男性の意見と同じように,政治に反映されるだろう。この描写的代表と実質的代表の因果関係についてのフィリップスの仮説は,今日まで数多くの研究を生み出してきた。

 

41  このように考えれば,代表者の男女比が均等に近いほど,その政治体制は民主的である考えられる。女性が多すぎても,男性が多すぎても、その政治体制は民主的であるとはいえない。ジェンダーの視点から眺めることで,代議制民主主義を標榜する既存の政治体制に対する評価も,従来とは大きく異なってくる。

 

42  政治学において,男性による支配は,長らく当たり前のこととして受け止められてきた。市民全員の参加に基づく直接民主主義が行われていた古代ギリシャの都市国家では,女性には市民権がなく,したがって意思決定ヘの参加が認められていなかった。代議制民主主義が生まれたヨーロッパでも,参政権は長らく男性の手に握られ,女性はそこから排除されてきた。

 

43  その後,女性参政権の獲得が明らかにしたのは,ポリアーキーの下でも政治の男性支配は続くという事実であった。たとえ選挙権が男性と女性の両方に与えられていても,政治家を選ぶ際には,男性の候補者が選出される。つまり,選挙権の獲得は,男女平等な民主主義のための必要条件ではあっても,十分条件ではないのである。そのことは,普通選挙権を獲得したフェミニストたちに大いなる失望を味わわせることになった。

 

44  アメリカでは,女性参政権が導入された1920年から第二次世界大戦後まで女性議員はほとんど誕生せず,その後も1980年代まで女性議員比率は5%程度で推移した。イギリスでは,1918年の第四回選挙法改正で男子普通選挙に合わせて女性参政権を部分的に解禁し,1928年に男女平等な選挙権が実現したものの,やはり1980年代まで女性議員の割合は5%程度にとどまった。

 

45  日本の場合,1945年に女性参政権が導入され,翌年の総選挙では公職追放で多くの現職議員が姿を消したこともあって,39人の女性議員が当選して議席の8.4%を占めたものの,それ以降女性議員は急速に姿を消し,1990年頃までほとんど伸びを見せなかった。今日でも,衆議院における女性議員の割合は1946年とそれほど変わらない。

 

46  標準的な政治学の教科書において,政治的競争の自由化を通じたポリアーキーの成立は,政治的自由が保障されるという意味で,望ましい帰結をもたらすと考えられている。しかし,ジェンダーの視点から見れば,その評価は一概には言えない。なぜなら,自由化が女性の代表性の向上につながるかどうかは,新たに参入する政治家が旧来の支配者層に比べて強い男女平等志向を持っているかどうかに依存するからである

 

47  確かに,男性の支配する政治体制が自由化され,男女平等の理念を掲げる勢力が参入した場合,自由化は女性の進出をもたらすだろう。韓国の場合,民主化以前は女性議員がほとんどいなかったのに対して,1987年の民主化後には女性運動が各政党に女性の代表性の向上を訴え,2000年代からは国会議員の女性比率が日本の衆議院を持続的に上回っている。台湾の場合,国民党の一党支配の下で一定数の女性が立法院に立法委員として議席を得ていたが,1990年代に政治体制の自由化が進む中で野党の民進党が女性運動と連携したことで,女性議員の起用が急速に進んだ。その結果,今日では議員の4割近くを女性が占めている。

 

48  しかし,民主化後に参入した勢力が男性優位主義的な志向を持つ場合には,むしろ女性の退場が促進されてしまう。特に,中東欧の旧共産圏では,1989年のベルリンの壁の崩壊と冷戦終結を契機に,各国で共産党の一党支配が崩壊する中で,女性議員の割合が劇的に低下した。共産主義体制下での女性の社会進出への反動として,家庭における女性の役割を強調する価値観が広まる一方で,新たに登場した政党は軒並み男性の候補者を優先的に擁立した。

 

49  このように見てくると,ポリアーキーそれ自体は,女性を男性と平等に代表するには,それほど役立たないことが分かる。少なくとも,男性優位のジェンダー規範が働く環境の下では,政党間の自由競争は,事実上,男性の間の競争となる。それは,一切の競争を認めない独裁体制に比べれば民主的な政治体制であるのかもしれないが,市民の間の平等を旨とする民主主義の理想からは程遠い。

50  ジェンダーの視点から政治体制を見直すことは,これまで民主主義と呼ばれてきた政治

体制の評価を大きく変わる。そして,政治体制の歴史や民主主義の歴史を見直すきっかけを提供する。

 

問1 下線部①に関連して,シュンペーターの民主主義の定義とダールのポリアーキーという考え方とでは,普通選挙の位置付けがどのように異なるか,200字以内で説明しなさい。

 

問2 下線部②「政治家が,自分の支持者を代表している」と言うとき,この代表を筆者の言う実質的代表と考える場合と描写的代表と考える場合で,どのような意味の違いが出てくるか,140字以内で説明しなさい。

 

問3 「各政党は国会議員の選挙において候補者の半数を女性とすることを義務付ける」という考え方について賛成か反対かを,問題文で示された「民主主義」や「代表」についての考え方と関連付けながら,理由を挙げて500字以上600字以内で論評しなさい。

 

 

 

 

(2)考え方

 

問1

 

●シュンペーターの民主主義の定義

 

・政治指導者が競争的な選挙を通じて選ばれる政治体制。⑬

 

・選挙を通じた政権交代を可能にする結社の自由や言論の自由が保障されている。⑭

 

●シュンペーターの民主主義の定義と普通選挙との関係

 

・シュンペーターの民主主義の定義には,誰が支配者であるのかを示す表現は含まれていない。⑰

 

・シュンペーターが見出したのは,「人民の支配」ではなく,選挙を通じた「エリートの競争」だったのである。⑱

 

●結論

 

・人口の半分に参政権を認めない国の政治体制が,なぜ民主主義と呼ぶに値するのか。⑲

 

普通選挙は民主主義の条件ではない。

 

●ダールのポリアーキーの民主主義の定義

 

市民の意見が平等に政策に反映される政治体制。21

 

・普通選挙権を付与する「参加」と,複数政党による競争的な選挙を認める「異議中し立て」という二つの要素から構成されている。21

 

・民主主義に向かう道が2つある。競争的寡頭制の下で選挙権が拡大される「包括化」と包括的抑圧体制の下で,政党間競争が許容される「自由化」24、25

 

●結論

 

普通選挙は民主主義の条件となる。

 

問2

 

●実質的代表の定義

 

左派的な有権者の多い選挙区から選出された議員は左派的な政策を掲げ,右派的な有権者の多い選挙区から選出された議員は右派的な政策を掲げる。

 

●実質的代表における議会

 

有権者の間の意見の分布が,国会議員の間の意見の分布と重なっている

 

●描写的代表

 

その政治家が,自らの支持者の社会的な属性と同じ属性を持っている

 

●描写的代表における議会

 

議会の構成が,階級,ジェンダー,民族などの要素に照らして,社会の人口構成がきちんと反映されている議会

 

 

 

(3)解答例

 

問1

 

シュンペーターの民主主義は選挙を通じて政権交代を可能にする結社の自由や言論の自由が保障されているもので選挙によるエリートの競争となり女性を含む普通選挙は民主主義の条件ではない。ダールのポリアーキーの民主主義は市民の意見が平等に政策に反映される政治体制を意味し競争的寡頭制の下で選挙権が拡大される包括化と包括的抑圧体制の下で政党間競争が許容される自由化が民主主義の条件で女性を含む普通選挙が帰結される。(200字)

 

問2

 

実質的代表とは選挙区の有権者の意見を反映した政策を掲げ、その分布が国会議員の間の意見の分布と重なっている。描写的代表とはその政治家が自らの支持者の社会的な属性と同じ属性を持っていて、議会の構成が階級、ジェンダー、民族などの要素に照らして社会の人口構成がきちんと反映されている議会。(140字)

 

問3

 

 私は「各政党は国会議員の選挙において候補者の半数を女性とすることを義務付ける」という考え方に賛成である。

ダールのポリアーキーの民主主義は女性参政権を保障するものであるが、ジェンダーの視点から見た民主主義の実現には不十分である。なぜなら、現実的にはポリアーキーにおける女性議員の割合は,包括的抑圧体制の性議員の割合に比べて低いからである。議会に多数の女性議員が含まれる政治体制、つまり描写的代表が確保されることで様々な争点について女性の意見を反映させ、また女性の多くが関心を持つ問題を争点化することができる。これにより選挙区女性有権者の意見を政治に反映させる実質的代表を確保することにもつながる。

 現在、共働き世帯が多くを占めている。女性は職場でも家庭でも男性の劣位に置かれている。男女の賃金格差は解消されていない。女性は外で働いて帰宅後にも家事や育児を専ら担うことになり、男性は家事・育児を均等に分担しない。育児休暇の男性の取得率は10%台に上昇したが、取得日数は女性が数か月に比べて男性は数日と少ない。

政治では少子化対策として、子ども手当の拡充などが図られているが、このようなジェンダー格差の問題は政治においては巧みに隠され争点化されていない。女性の国会議員が今より増えれば、このような問題の解決に向けて政治が動き出すことになるに違いない。(500字)

 

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