(1)問題

 

次の文章を読んで、後の問1〜問2に答えよ。

 

①「平等」を唱える人たちも、「いかなる平等が正しいのか」あるいは「どういう状態が平等か」という定義が、実は曖味なのです。もともとの古典に立ち返ると、ジャン=ジャック・ルソー(フランスの思想家、1712~1778)は自然法思想で自然状態を想定します。原始共産社会のように私有財産制のなかった社会では、人は平等だったはずだというわけです。人間が私有財産制を持ち込んでから、醜い格差や不平等が発生することになったという近代の告発が、ジャン=ジャック・ルソーによってなされました。けれども、ふと立ち止まってみると、われわれは、みんなが同じ家に住んでみんなが同じ職業に就いてみんなが同じ所得で、みんな同じような生活をしている社会は、どこか気持ち悪い社会だと思うわけです。つまり、自由でないと感じるのです。

 

②フランス革命では一応、「自由・平等・博愛」が旗印になったけれど、実は自由と平等はそう簡単には両立しないのではないか。みんな、どこかで自由と平等はトレードオフ(両立しない)の関係にあるという実感をもっているのです。まさにそこが、「機会の均等」と「結果の平等」が矛盾する、という言い方に現実味を与えているのです。

 

③改めて言うと、市場原理を強調する新古典派の人たち(最近では「構造改革」論者たち)は、どちらかというと、「機会の均等」(=皆が同じスタートラインに立てること)さえ保障すればいいという議論になります。つまり、「結果の平等」をめざしてあまりに所得の再分配をすると、能力があったり努力している人が、怠けていたり能力のない者に、お金を奪われてしまう。税金をたくさん取られて、それが所得再分配に回る。それによって、やる気がある人・能力がある人の足が引っ張られてしまう。そのために社会は自由を失い、経済的な活力を失ってしまう。それゆえ、「結果の平等」よりも「機会の均等」を大事にすべきだという形で経済学者は議論します。

 

④自由と平等の両者のバランスの問題と考え、価値判断をする。これが実際に政治的にも機能していたので、このトレードオフ論は1980年代の最初のころまでは説得力があるように見えました。ヨーロッパでは社会民主党や労働党、アメリカだったら民主党のリベラルな人たちは、「結果の平等」を重視して格差の是正を主張します。それに対してヨーロッパのキリスト教民主党や保守党、アメリカの共和党のような保守的な人たちは、濃淡はあるけれども、再分配よりも市場原理のような「機会の均等」を重視する考え方を推し進めます。こうして両者が政権交代することによって、なんとなく行ったり来たりしながら、社会はバランスを取っているのだという実感にも根ざしていたために、トレードオフ論が本当であるかのように思えていったわけです。

 

⑤経済学そのものは正義の問題を扱うことができないのですが、政治哲学の領域でこの問題を取り上げた重要な業績があります。アメリカの政治哲学者、ジョン・ロールズの『正義論』(1971年)です。この『正義論』は、「機会の均等」と「結果の平等」が対立軸であった時代に、正義の原理として両者に優先順序づけを与えています。ちなみに、彼のアプローチは契約理論に基づいています。「原初状態」を設定して、そこでみんながある種の社会契約をすることによって国家や政府、あるいは憲法的な原理を決めていくという考え方です。その際に、正義の二つの原理を掲げています。

 

⑥第一原理は、「平等な自由の原理」です。すべての人が、政治的自由や精神的自由といった基本的自由を、平等に享受する権利をもつべきである、という原理です。ところが、自由が平等に分配されても、社会的・経済的不平等、格差の問題が生じることは避けられない。では、どのような社会的・経済的不平等なら許容されるのか、ということで、第二原理が提示されます。

⑦第二原理は、社会的・経済的不平等に対しては、最も不遇な人からまず優先して是正されなければいけないけれども(格差原理)機会均等の原則を侵すようなやり方ではいけない(公正な機会均等原理)というものです。結論的に見れば、「結果の平等」も大事にすべきであるが、「機会の均等」を最優先すべきという主張になります。ロールズおよびロールズを支持する政治哲学者たちは、正義の普遍性を非常に強調しますが、ロールズの「正義の二原理」は本当に普遍的なのかと問われると、いかにもアメリカ的な考え方(アメリカ的リベラリズム)なのではないかと考えられます。

 

(中略)

 

⑧実際、ロールズがいう第一原理と第二原理の優先順序はそれほど普遍的ではないと考えられます。インド出身のアマルティア・センという経済学者は、ロールズと論争しながら、ロールズの第一原理と第二原理をひっくり返した主張をしています。彼はおそらく開発途上国を念頭に置いているのですが、最も貧困な状態におかれている人たちに教育や衛生を与えることによって、基本的な潜在能力を高めることができる。つまり、最も不利な人たちに最大限の衛生や教育という基礎的ニーズを満たすことによって、彼らは初めて自由になれる、という主張をおこないました(『不平等の再検討』岩波書店)。これをあえてロールズの二原理に当てはめて言い直せば、「格差原理」を優先することで、はじめて「公正な機会均等原理」が保障され、「平等な自由の原理」を満たすことができると読み替えることができます。

 

⑨しかし難しいのは、義務教育や基礎的な医療衛生を保障された先進諸国の場合、逆に教育や医療が格差や不平等の原因になってしまうことです。しかし、具体的手段はともあれ、この第一原理と第二原理の逆立ちは、必ずしも発展途上国に限りません。アメリカのように自由の原理を第一義的に設けて、格差是正の原理を第二原理に置くような社会でなくても、平等の原理を第一に置くことで、十分に自由を保障する社会は成り立っています。例えばスウェーデン、デンマーク、フィンランドといった北欧諸国では「大きな政府」であっても市場経済であり、なおかつ高い経済成長力を確保しているし、同時に格差是正をしているので世代にわたる(注)社会的流動性は高くなります。

 

(金子勝『閉塞経済』筑摩書房より。一部改変)

 

(注)所得階層、学歴、職業などの社会的地位が固定的でないこと。たとえば、低所得階層だった人が高所得階層に移りやすい、あるいはその逆が起こりやすいような社会。

 

問1「結果の平等」と「機会の均等」との関係について、ジョン・ロールズとアマルティア・センの考え方の違いを200字以内で説明せよ。

 

問2本文中の傍線部について、「結果の平等」よりも「機会の均等」を大事にすべきだという考え方をあなたはどう思うか。支持するか反対するか、あなたの立場を明確にした上で、その理由を今日の日本または世界の現状に即して説明せよ。(800字以内)。ただし、どちらの立場をとるかは得点には影響しない。

 

(2)要約

 

●ロールズ

 

第一原理:「平等な自由の原理」

 

すべての人が、政治的自由や精神的自由といった基本的自由を、平等に享受する権利をもつべきである

 

第二原理:

 

①  (格差原理)社会的・経済的不平等に対しては、最も不遇な人からまず優先して是正されなければいけない

 

②  (公正な機会均等原理)機会均等の原則を侵すようなやり方ではいけない

 

●セン:ロールズの第一原理と第二原理をひっくり返した主張

 

最も不利な人たちに最大限の衛生や教育という基礎的ニーズを満たすことによって、彼らは初めて自由になれる、

具体的な施策:最も貧困な状態におかれている人たちに教育や衛生を与えることによって、基本的な潜在能力を高めることができる。

 

●筆者の評価

 

センに対する反論:

 

義務教育や基礎的な医療衛生を保障された先進諸国の場合、逆に教育や医療が格差や不平等の原因になってしまう

 

再反論:

 

・アメリカのように自由の原理を第一義的に設けて、格差是正の原理を第二原理に置くような社会でなくても、平等の原理を第一に置くことで、十分に自由を保障する社会は成り立っている。

 

・スウェーデン、デンマーク、フィンランドといった北欧諸国では「大きな政府」であっても市場経済であり、なおかつ高い経済成長力を確保しているし、同時に格差是正をしているので世代にわたる社会的流動性は高くなる。

 

 

(3)解答例

 

 

問1

 

ロールズは、すべての人が、政治的自由や精神的自由といった基本的自由を、平等に享受する権利をもつべきであるという「平等な自由の原理」を前提として、格差については社会的・経済的不平等に対しては、最も不遇な人からまず優先して是正されなければいけないとしつつ、機会均等の原則を侵すようなやり方ではいけないとする。センは、最も不利な人たちに最大限の衛生や教育という基礎的ニーズを満たすことによって、基本的な潜在能力を高めることができ、初めて自由になれるとする。

 

問2

 

ロールズは、全ての人が基本的自由を平等に享受する権利をもつべきであるという「平等な自由の原理」を前提とし、社会的・経済的不平等などの格差に対しては最も不遇な人からまず優先して是正されなければいけないとしつつ、機会均等の原則を侵すようなやり方は避けるとする。センは、最も不利な人たちに最大限の衛生や教育という基礎的ニーズを満たすことにより基本的な潜在能力を高めることができて初めて自由になれるとする。

 

 私はセンを支持する。確かに筆者の指摘するように先進諸国では教育や医療が格差や不平等の原因になる。貧困層は高等教育を受けることができないため、給与や待遇面で好条件の就職機会を逸し、生涯賃金で格差が生じる。また、高所得者の場合、高額ながん治療薬などの高度先進医療を受けることができ、医療格差が生じる。しかし、これらの問題に対しては大学教育の無償化や保険制度の改善によって制度的に対処できる。

 

 ひとの人生は努力だけで決まるものではない。生れついた家庭や身体は選べない。貧困家庭に生まれた子どもや心身に障害を持つ子どもは、現行の制度のままでは就学・就業機会に恵まれずに生活困窮に陥る。彼ら彼女らは潜在能力を持つが、環境や障害によって能力を十全に発揮できない。その困難な状況を顕在的な能力や努力不足で責めたてることはできない。また成功者でも、病気や事故などでいつ障害などハンデを負うかはわからない。

 

 不平等と格差を是正するために、教育や福祉政策を徹底させるべきである。そのための財源は「大きな政府で市場経済でも「なおかつ高い経済成長力を確保している」北欧諸国にならい、間接税によって補う。少子高齢化が進展する先進国にあって、国民的なコンセンサスを得たうえで、良質の教育と福祉を実現させることでマイノリティの持つ可能な選択肢を広げ、ケイパビリティを開花させることで、真に平等な社会を築くことができる。

 

 私はセンの主張を支持する。確かに、筆者の指摘するように、先進諸国では教育や医療が格差や不平等の原因になる。貧困層は高等教育を受けることができないため、給与や待遇面で好条件の就職機会を逸し、生涯賃金で格差が生じる。また、高所得者の場合、「オプジーボ」のような高額ながん治療薬などの高度先進医療を受けることができ、医療格差が生じる。しかし、これらの問題に対しては大学教育の無償化や保険制度の改善によってこれらの問題は制度的に対処できる。

 

 ひとの人生は能力や努力だけで決まるものではない。生れついた家庭や身体は選べない。貧困家庭に生まれた子どもは、現行の制度のままでは就学・就業機会に恵まれずに生活困窮に陥る。また、障害者の困難な状況を能力や努力不足で責めたてることはできない。つまり、能力や努力よりも運で人間の人生が左右されてしまうことのほうが事実として多いのだ。やる気や能力がある成功者でも、病気や事故などでいつ障害を負うかはわからない。

 

 不平等と格差を是正するために、センの考え方をさらに推し進めて、教育や福祉政策をさらに徹底させるべきである。そのための財源は「大きな政府で市場経済でも、なおかつ高い経済成長力を確保している」北欧諸国にならい、間接税によって補う。少子高齢化が進展する先進国にあって、国民的なコンセンサスを得たうえで、良質の教育と福祉を実現させることは私たちに課せられた急務である。(800字)

 

補足と解説

 

センはケイパビリティという概念を主張している。

 

これは参考文にある「潜在能力」という言葉に翻訳させている。

 

「潜在能力」では難しいので、ここでは「その人が潜在的に持っている実現可能な選択肢」というように理解して考え、答案を作成した。

 

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