(1)物事の本質に迫るためのスピリットが重要
大学入試小論文では、大学や学部学科ごとに書き方を変えるという話をしました。
ここで言いたいことは2つあります。
第一に、いわゆる「傾向と対策」を立てる、という入試の合格戦略としてはしごくまっとうな考え方になります。
予備校の使命はまさにそこにあると言ってもよいでしょう。
合格するためのテクニックを教える。
間違ったことは言っていません。
しかし、ひねくれ者の私には、これだけでは何かしっくりこないのです。
大学というのは言うまでもなく学びの場です。
このような技術も大切ですが、テクニックだけでは何か本質的なことが抜けています。
高校入試まではテクニックだけでいいでしょう。
だが、高校と大学の違いは、大学では創造的な学びの場という要素が大きい。
人と違った斬新なアイデアを生み出し、従来の学説や解釈には捕らわれない新しいことを発見・発掘するところが大学の意義であるように私は考えています。
ものごとを創造するためには、本質を突き詰めて考えることから避けることはできません。
こうした姿勢は大学入試小論文から始まるのではないでしょうか。
このような理由で、大学入試小論文では、大学や学部学科ごとに要求される精神、物事の本質に迫るために不可欠の
スピリットを注入することが何よりも重要であると考えています。
このスピリットは予め決まったものではなく、生徒との学びの過程でともに発見してゆくものと、私は考えます。
(2)「ウェルビーイング」はスポーツの本質
本質とかスピリットとか、何か難しいことを言っているように聞こえるかもしれませんが、私の言いたいことは単純です。
ある学びを探求するうえで必要な手がかり、キーワードがこの本質やスピリットと深くかかわるものなのです。
たとえば、スポーツや体育学部の小論文指導をしていたときにインスピレーションで得た考え方が「ウェルビーイング(well being)」です。
この「ウェルビーイング」というのは、なかなかやっかいな代物で、日本語では「幸福」「健康」などと訳されていますが、こう訳してしまうと何かストンと心に落ちないと思っていました。
「ウェルビーイング」を解説した本は巷ではよく出版されていますが、どうやら、これはビジネス書で、実用的なハウツー本に近い内容のものが多く、人材管理・育成といった経営や自己修養や自己啓発の傾向があるものが多いようです。
「ウェルビーイング」をもっと学問的に分析した本が意外に少ないの点に違和感を覚え、物足りなさを感じています。
しかし、この「ウェルビーイング」はスポーツの意義や本質を考えるうえで、大きな手がかりを与えてくれる重要な概念であると直感しました。
去年、私の開設しているスポーツ体育系大学の編入試験小論文の講座を受講された女子大学生がいました。
世界保健機関憲章前文 (日本WHO協会仮訳)
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。
この試みが功を奏して、彼女は見事に難関私大のスポーツ体育系学部への編入試験に合格を果たしました。
この経験は私の糧となりました。
そして、このあと、私が開設している早稲田大学スポーツ科学部入試小論文を受講された高校生に私のオリジナル対策問題として、「ウェルビーイング」とスポーツを関連付けて書かせる問題を解いてもらうことになります。