明治十五年

渋沢栄一は

今の大正区の

北の端に




最先端の大きな紡績工場

を作った

その頃

沖縄は大不況

多くの働き手が

船で

大阪に来た



工場がなくなってからも

沖縄の人は

大阪

大正区に残って

一大グループを作った


仲間意識の強いさは

ひょっとして

ホモサピエンス

生き残った

最大の武器かもしれない


今も

四人に一人は

沖縄の人で

僕の出た

北恩加島小学校では

クラスの

半分以上が

沖縄の人だった

だから

沖縄は

心地よいところだ