今日
弟子たちの送った
今日の一言
毎日
みんなに頑張ってもらおうと
続けておりますが
今日は皆様にも





おはようございます。



連日の
稽古大変ですが
異業種の方と
知り合えて
とても
嬉しいです。



その道その道ですごい人がいて
刺激をもらえるので
みんなもたまにはクラシックを聞くのも
いいのでは

メリーウィドウ

オペレッタは
喜劇のオペラのこと
実によくできているし
歌が全て雰囲気が違って
旋律が
美しい



さて今日の言葉


ワシは
英会話で困ったことがない
向こうが困っとる



横山やすし




超わがまま
芸人を
あそこまで演じた人はなかなかいない
徹底して演じ切った。


本当は
優しい
超、頭のの回転の速い
いい男だった。



同じ歳だった
彼は早行きで
同学年
中学出て
漫才の頂点に立った。


でも芸歴は
8年先輩だった。
でも
彼は僕のことを


河村はん


と呼んで
いろいろ
力になってくれた
西川さんが国会に
行った時
ほとんど番組で僕が面倒を見た。



彼とは一度も揉めたことはなかったが
他の人と揉め倒した。
ある番組で
番組宣伝用の写真を撮る時
たいてい
普通に
何枚も撮る
横にいると
イライラしているのが
分かっていたが
僕は
そういう時何も言わないし
彼も僕には何も言わない
一切僕に
言ったことはなかった。


そのうちに
切れるぞと思ったら
案の定



コラ!
あほんだら
お前もプロやろ
一枚で決めアホ



カメラマンを怒鳴りつけ
撮影は
早く終わった。


とにかくせっかちだったし
どういうわけか
女性の
好みは
よくわからなかった
あまり美しい人は
好きじゃなかったみたい
やきもち焼きだったから
あまりイライラしない女性を好んだ



鍋料理が好きだった



とにかく
そのくせ
煮えるまで待てない。
たいてい
榎茸とかは煮えてから入れるが
彼は
初めから入れる


そして
ふぐ鍋でも
えのきから
食べた


僕は
やすしさんが好きだった
だいたい
個性的な
人が
好きで
いろいろ学べることが多い
個性的な人が
そばにいるとこちらが普通に見えるから
だけど困ることがある



彼は
寂しがりだったから
河村はん
寿司でも行こうと
寿司屋へ行った


機嫌よく話す
特に
ボートや飛行機の話を振ると
止まらない
僕にとっては未知の世界だったから
面白かった
また聞くと
調子に乗っていくらでも
話す
恥ずかしそうに笑う顔が
少年のようで
好きだった。



僕の隣にいた見知らぬ
客が
僕に話しかけた


いつも新婚さん観てまっせ!


さあこの言葉が
やすしさんの逆鱗に触れた。
プライドの
たかいおとこだったから
まずは
やすしさんを
褒めておけばよかったけれど


コラ!
こっちが話しとるねん
横から
口出しするな
あほんだら
やすもんのサラリーマンが


このやすもんの
フレーズはよく使った。



すごすごと客は出ていった
寿司屋は迷惑だったに違いない
寿司を握る手が
震えていた。



とにかく
無茶を楽しむきらいがあった
あの人こそ
生き急いでいたのかもしれない
自分の個性が
そんなに長くもたないと知っていたに違いない



いつも
トップにいたかった。


そして無茶を楽しんだ
東映映画に、出ていた時に
朝早い撮影だったから
前の日に
京都に泊まろうと思っていたら



送っていったろか?

あの人懐こい顔で
言われると
断れなかった
結果は分かっていたが


予想通り
車を
飛行機のサンダーバード
ほど飛ばした
200キロ近く
出ていたと思う



撮影所に着いた時
僕は神様に感謝した。
そして

あとから
無免許と聞いた時
あらゆる世界の神様に
感謝した



とにかく
タクシーに乗ると
必ず
助手席に乗って
うるさい


東京でも
空港からタクシーに乗ると
乗るたびに
やすしさんの苦情を言われた
生き急いでいる人には
何も通じなかった。



ある時
京都の撮影所で
仕事が早く終わったので
池田の僕の家で
飯でもとなった


さあ
京都から
タクシーの助手席に乗ったら
運転手泣かせ


おい
前を横からチャッと抜け
前の前の車の動きを見て
頭使え
アホ
カーブでスピードを緩めるな
バカタレ



しばらく
聞いていた
運転者さんがおもむろに言った。




すんませんな
この間
ムショからでてきたところでなれてまへんねん
ハンドル握る手に
小指がなかった。


そのことばから
やすしさんは
一言も喋らなかった。



とにかく、かましには弱い
ある
正月番組で
深夜まで撮影が続き
イライラしているやっさんの顔に


フロアディレクターの
キュー
ふった手がメガネに当たった


コラ、ボケカス
やすもんのディレクター
ええ加減にせぇ


僕は
やっさんそれは後にして
早よ終わらそ!

と叫ぶと

なんとか収まって
続けられた



神経質で
ええ加減
仕事はきらい
とにかく自分中心に
世界は回っていると信じている

金は
ボートに
使い切った


とても短い
人生だったが
その人生は
燦然と輝いている


半分シャレで
半分マジで

ラジオ
漫才教室から一緒だった僕には
優しかった
それなのに
やっさんに見つからないように
避けていたことがあって
申し訳ない
反省している


あんな芸人はもう
出ない
同じ歳で
同じ番組で
一緒したこと


今思えば
幸せだった。

破天荒そのもの
見事に演じて
生き抜いた
男のこと
僕には
宝物だ。


学ぶところがたくさんあった。


僕は
漫才史上
あくまでも私見だが
面白くて
爆笑を取り
漫才師としての
間髪入れぬ
言葉の才
全てを総合して
やはり


ダイマル師匠を
抜いて
一位にあげたい
でも


やすしさんを知る人が
最近
少なくなったのが寂しい