僕が
一番尊敬し
愛した
漫才師
鳳啓助師匠

僕が
あちらこちらのテレビに出て
いても
会った時は
これ車代と
お金を渡してくれました
もちろん流石に断りましたが

ご結婚
3回

別れる時は
全てを置いて
出て

子役からの芸人で
元はお芝居の人
京唄子師匠もお芝居の人
晩年は
静岡に住んで
入院された。

僕が病室に入ると
頭に
ヤツデの葉っぱを乗せていた


僕を笑わそうとしたのか
体にいいから
とおっしゃっていたけれど

子供の頃からの旅周りで
汽車の窓から
見える景色が友達やった。

常々言っておられた

ロマンチストだった。
いつも
笑っていた。
かっこよかったなぁ
人のことを一切悪く言わなかった。


芸人という
職業を
生きて
貫いて
 
なぜか
静岡へ行く前の
家にお邪魔した時に
仏壇に
台本が置いてあった。
おそらく学校へは行ってないと思うけど
読書家で
どんなことでも
知っておられた。

最後の芸人
漫才師は
師匠だと思っている。
見事な最後だった。
僕の落語
作文を
芝居に作り直して
南座でやってくださった。

素晴らしかった
師匠のように生きられない
今の時代
きっと嘆いておられるに違いない

師匠は
勉強家だった。



僕は
いま
勉強不足になっていることは
否めない
師匠はきっと
またできる時にしたらええがな
おっしゃってくれるだろうけど


僕は
少し
感傷に浸っている自分に甘えている気がする


啓助師匠
懐かしい

でも
やりますからね
母の反対を押し切って
入った
この世界
窮屈になりましたけど
新しいものを作ること
古いものを守ること
だれもみてなくてもかみさまがみているとしんじて

出来るは人間の言葉出来ないは神様の言葉
人間が
出来ないなんて
軽率にいうものではない


わかったか
静也