小学生
6年生だったと思う
左下が渡辺章先生


僕は
1番下
怖がりだったから
上に行けなかったんだと思う
みんな悪そうな顔してるなぁ
昭和30年少し前
これから中学になると
石原裕裕次郎ブームになって
もはや戦後じゃないと言われる


まだ戦争の爪痕が残っている
ころ
大阪の端っこにある
大正区の子供たちは
無邪気なもので
漠然と
戦争は終わったことは分かっていても
いかに凄惨な戦いだったかを
知るよしもなく
貧乏にもなれていたし
毎日楽しく送っていた。

このころ
まさかこの先の
人生を予測だにしなかった
親が
鐵工所をやっていたら
漠然と自分も
やるのかなあと思うだろうけど


父親がいなかったから
先の人生が
こんなに波瀾万丈だとは
知る由もなかった


少し前に進んだけれど
さっぱり
全てに
整理できてない状況だ
なんとか岐阜で
着る着物は
決めた


これからはただ落語だけやってれば良いのと違うから
大変
でも信頼できる人が
サポートしてくださっているのでそれだけは
安心



人の優しさが心に沁みるなぁ