写真は
関大の落語のクラブのメンバーと
隠岐の島へ行った時のものです。

学生時代に行った時の
思い出が
とても
強烈で
もう一度みんなで行きたい。
とにかく隠岐の島の皆さんがとてもよくしてくださったし
景色も最高だったし

また行こうとなって
みんなで行きました。
最初行った時
僕は4年生
高座名が
ろまん亭ちっくでした。
その当時一年生だった
大谷君に
ろまん亭小ちっく
という名前をつけました。
彼は
とにかく
動きがよく
要領もよく、みんなをよくまとめ、動きも機敏で
僕は人間的にもすごく気に入って
ろまん亭小ちっくと
命名して
弟のように可愛がっていましたし
彼もまたよく慕ってくれました。
その彼が
一緒に写っている男です。


いつもニコニコと
全てに真面目で
まっすぐで、
学歌斉唱の時は彼が前に出て指揮をするという
硬派な男でした。
卒業後は
松竹芸能に入り
ミヤコ蝶々先生をはじめ、主に芝居を担当し、みんなに好かれておりました。
僕も会社は違うけれど、
ずっとよくしてくれましたし
会社を辞めてからは
西淀川区民会館の館長をつとめ、
そこで
大阪市内各区の
落語を作るときに
世話になりました。
とにかく、礼儀正しい
実直な男で
いつか
一緒に仕事をやりたいなあと
思っておりました。

その
彼が昨日彼岸に旅立ったと
聞かされました。
どれだけ悲しかったか
彼は、家族にとにかく皆さんに迷惑かけないように
密葬でやるように、終わってから
みんなに知らせと
命じたそうです。
せめて
供え花をと申し込みましたが
固辞されました。

つらくて
悲しい日となってしまいました。
みんなで
集まって
思い出話をすることもできず
残念でなりません。

ありがとう
本当によくしてくれて



合掌