じゃあ、『レビューのあるべき姿』って何さ?という話です。

そもそも、レビューというのが以前に作品を読んだ人間、商品を使用した人間が後に見る人の為に所感を書き残すというもの。
小説や映画なんかでは、その所感が他人に伝わり易いように書評の形となる、といった具合でしょうか。

これが商品レビューならば分かりやすいんですよね。
形の大きさとか、作動音がどうとか、連続使用時間とか、基準が割とはっきりしている上に比較もしやすい。
しかし、小説レビューになると話が変わってしまう。
そもそもが、基準なんて存在しない世界ですからね。

作品の長さを基準にする人も、文章だけを対象にする人も、内容だけが絶対という人だって居るわけです。
それらの人が、同じ場所で、基準が違うはずなのに優劣を語り合うわけです。
もう、この時点で歪みが生じている。

そこに付けて、宣伝のためにレビューを利用する輩が存在するわけです。
もはや、あるべき姿なんて保っていられる道理もありません。

では、それに対抗できる手段とは何か?
それは『どんな低評価の作品にもレビューを付けるようにする』ということです。
★が1つでも、2つでも。読んだ作品はきっちりとレビューしていく。
そうすれば、レビュー全体での評価というものが平均化されるはずです。
さらに言えば、低評価の作品ばかり書く作者は淘汰されていくでしょう。
馴れ合いばかりで高評価を獲得する作家と、馴れ合いが無くても高評価を獲得できる作家が色分けされます。
それだけでもサイトにとってはメリットです。

さらに、作品を書くのは苦手でも、読むのは得意という人にサイトでの存在意義が生まれます。
むしろ、そちらの人の方が多いのではないでしょうか?
『人の作品を評価するならば、アンタの書いた作品はどうなんだよ!』なんて的外れな怒り方をする人が居ます。
そりゃあ、中傷めいた批評をかましてくる奴にはその返しで良いと思います。
しかし、きちんと読んだ上で、的確な批評をしてくる人に対しては的外れな反論でしょう。

その人の作品がどういったものであれ、低い評価は作品にとってまっとうな評価であるという風潮を根付かせる。
それが一番効果的な策では無いでしょうか?

一部の人間が、不当な形で歪めてしまった場所というものは、全体の力であるべき姿にするしか無いと思います。

もともと、レビューなんて正直な意見を書くべきだと思いますしね。
低い評価ができないという人は、高い評価も表明すべきではないと思います。
高い評価を出している時点で、他の作品に低い評価を出しているわけで。
『自分ごときが低い評価を出すのはちょっと……」 というのは、何とも程度の低い言い訳にしか聞こえません。

というか、一つの作品に低評価があったからといって、作品を書くのを止めるような人はそもそも作家に向いていません。
100人居れば100通りの評価があってしかるべきでしょう。
その平均が高いか低いかは読者が決めるものですし、一度作品を世に出した時点で作品と作家は切り離されるものです。
まあ、低い評価はどうしても嫌だというプライドが高い人は、作品の精度をとことんまで高めるか、作品を公表しないかぐらいしか出来ないのはずです。

作品は公表したい、全てが高い評価しか許せない、なんて言う人は、そういった実力を身に付けてから行動するしかないでしょう。
その我が侭を満たすためだけにレビューを利用されると、普通に活動している人にはとても迷惑な話なのです。

そうですね、そういった人に分かってもらうためにも手始めに★3つくらいのレビューをみんなで書いてみませんか?