昔々、ある芸人が、
「死んだら負け」
と発言しましたとさ。
当時、物議を醸しましたが、
今更ですが、私としての意見を書きたく。
概要
発端は、とある番組での大物芸人の発言です。
アイドルが自殺したとの報道です。
そこでの芸人の発言ですが、私が読むに、趣旨はこんなんでしょうか!?
・色んなのが複合で重なり、心の許容を超えた
・原因を突止めたくなりがちだが、「此が原因」てのはないんじゃないか
・事務所か悪くないとも言えず
・亡くなった人を責め辛い
・死ねば庇ってくれる風潮が嫌
そういう文脈での「死んだら負け」発言だと理解してます。
正しい
「死んだら負け」自体は正しいと存じます。
苛めはパワハラを苦に自殺する人は沢山いますが、
加害者の中には、人を死に追込んでも罪の意識すらなく、
寧ろ「あー、やっと死んでくれた!」と喜ぶ加害者もいます。
加害者に喜ばれてしまうのであれば、
'負け' でしょうね。
励みになる
非難も多い「死んだら負け」ですが、
励みになってる人もいるらしいです。
「死を肯定しちゃいけない」
「グッときた」「救われた」
そういう発言もあります。
賛成するかは置いといて、
勇気づけられてる人がいるのは無視すべきでないです。
根本を正さないと…
自殺にまで追込まれるには、相応の原因や理由があります。
問題解決の基本は、原因への対処。
なぜ自殺したのか?
どうすれば防げたのか?
を研究し、対策する。
その繰返しが、よりよくする定石です。
芸人が仰るに、原因は1つではないかもしれない。
複合が重なってるかもしれない。
判別し辛いのはそうでしょうが、
かといって対策しなくていいのでしょうか!?
原因不明で放置するって、自殺したくなる仕組が温存されたままなんでしょ!?
「死んだら負け」で勇気づけられるのはいいとしても、
次から次へとそんな人を発生させるよりも、
そもそも自殺したいと思わない仕組を作るのが遥かに大切じゃないでしょうか!?
原因を追及せぬまま「死んだら負け」と叫んだとて、
付焼刃というか、その場しのぎというか、
本気で自殺者を減らしたい人とは評価できなかったです。
辛くなったら負け
原因の追及と対策をせぬ問題は他にもあります。
辛い思いしてる人に負担が集中します。
多くは、自殺したくなる気持ちに追込む人や仕組があっての…、な筈です。
芸人さんは「此が原因ってのはないのでは!?」と仰いますが、
其だと原因になった人や仕組が責任をとらされたり、改善したり、がなくなりませんでしょうか!?
結果として加害者的な人や仕組が責任逃れできてしまわないでしょうか?
だからって自殺したい人が甘えていいかは別ですが、
追込んだ側には特になし。
追込まれた側はケツ叩かれる。
此は此で不公平です!
追込んだ側もきちんと責任をとったり、改善したりすべきで、
「此という原因はないんじゃないか」が、責任や改善の機会の喪失に繋がるのは、あってはならないかと…!
不公平
加害側は「此という原因はない」で流されたらどうでしょう!?
「死んだら負け」と励ましてくれるのはいいかもしれませんが、
「なぜ私ばかり言われるの!?」ってなりませんか?
「パワハラした○○課長には何も無か!?」
「私を苛めた××君には何も言わないのか!?」
って、なりませんか?
苦しんだ人ばかり「死んだら負け」だのぎゃーぎやー言われ、
苦しませた人には「此という原因はない」と、実質、何の責めもない…
不公平すぎます!
本音
報道での発言が炎上してからも、芸人さんはX(旧Twitter)で「自殺者を減らす為に」と、「死んだら負け」を言い続けてますが、
私は、その芸人さんが本音で言いたかったのは、自殺志願者へ「死んだら負け」ではなかったのではないかと疑っています。
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