愛のカタチ。 | 魁!稽古人、徒然日誌

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空手とシステマ、誰ツヨDOJOyを稽古しているオヤジの徒然日誌です。武の体育功学舎空手伝承会松尾道場主宰、システマ福岡ネットワーク代表、誰ツヨDOJOy福岡稽古会所属、『現代護身術』講座企画立案者

桜舞い散る 春待たずして
もしもあなたがこの世を去ったら
実り黄金の 秋待たずして
あたしは あなたを追うのでしょう

夏の夕暮れ 裏通りへと
あなたが散歩に出かけたなら
あたしは庭の錆びたベンチで
あなたの帰りを待つのでしょう

愛なんて あたしには
愛なんて似合わないけれど
一人で居る時にあなたを思う事が
愛ならば これは愛です

あなたが教えてくれた事
言葉には 何もないけれど
あなたが教えてくれた事
それは本当の「愛のカタチ」

冬の夜 夢を諦め切れず
あなたが北へと旅に出るなら
あたしは毎夜北へと向かい
あなたに「おやすみ」と言うのでしょう

幾年老いて あたしの記憶を
病が徒に食らえども
愛子の名を忘れ 我が名を忘れ
それでもあなたを忘れません

愛なんて あたしには
愛なんて分からないけれど
一人で居る時にあなたを
思う事が愛ならば これは愛です

あなたが教えてくれた事
言葉には 何もないけれど

あなたが教えてくれた事
それは本当の「愛のカタチ」

幾年老いて あたしの記憶を
病が徒に食らえども
愛子の名を忘れ 我が名を忘れ
それでもあなたを忘れません



1939年、横出義光と八千子は出会ってすぐ、恋に落ちた。 当時、義光には許婚がいて周囲は反対したが、二人は愛を実らせて結婚。 やがて一人娘の一見も授かり、夫婦は寄り添いながら長い年月を共に過ごした。 しかし夫・義光は80歳を超えると入院生活に。 この頃、八千子は『1日でも1時間でも義光さんより長生きしなくちゃあきまへん。ウチがいなくなったら、義光さんが困りまっしゃろ?』 と言うのが口癖だったという。 

 

ずっと夫の側についてやりたい八千子だったが、病院では面会時間が決まっている。 病室に行けないとき、八千子は家の前にイスを出して座った。それは夫がいる病室の窓を見るためだった。 

 

だが夫・義光は2004年2月に永眠。その葬式の直後に八千子は突如、アルツハイマー型認知症を発症した。 病状は日に日に悪化し、彼女は一人娘のことも、やがて自分の名前すら忘れた。 そんな八千子が最後まで決して忘れなかったのは、愛する夫・義光の名前。 その姿に感動したのが、孫で歌手の中村つよしである。

 

 中村『記憶を失う病に自分がかかった時、最後に一人だけ覚えておけるとしたら、誰のことを覚えておけるんだろう。 おばあちゃんのおじいちゃんに対する真実の愛、それを「カタチ」に残せないかなと思ったんです』 

 

そういう想いから「愛のカタチ」は生まれた。記憶を失っていく祖母のために、中村つよしはこの歌詞を刻んでいった。 『幾年老いて あたしの記憶を 病がいたずらに食らえども 愛子の名を忘れ わが名を忘れ それでもあなたを忘れません』

 

 2004年8月。八千子は夫の死から半年後、後を追うように永眠した。

 八千子が生前、イスに座っていた本当の理由をポツリともらしたことがある。 八千子『あれは、義光さんの病室を見ているんじゃなくて、義光さんに私の姿を見てほしかったのよ』 

(「誰も知らない泣ける歌 」オフィシャル・コンピレーションアルバム 「愛のカタチ」のエピソードより)



人を愛する意味とか意義が胸に響きます。


例えば、

別れた相手を憎んだり

恨んだりすることはもちろん、

別れた相手の幸せを願うことさえも

どちらも、不実でしかない、と

そう言いきれる今です


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